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「法隆寺の鬼」と呼ばれた男。最後の法隆寺宮大工、西岡常一(4) - 歴史好きの大和徒然草子
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「法隆寺の鬼」と呼ばれた男。最後の法隆寺宮大工、西岡常一(4) - 歴史好きの大和徒然草子
皆さんこんにちは。 最後の法隆寺宮大工棟梁、西岡常一棟梁の足跡をご紹介する記事の今回は4回目です。 ... 皆さんこんにちは。 最後の法隆寺宮大工棟梁、西岡常一棟梁の足跡をご紹介する記事の今回は4回目です。 www.yamatotsurezure.com 戦後、法隆寺金堂の復元修理を終えた後、広島県福山市の明王院の解体修理、法輪寺三重塔の再建に参加していた常一ですが、いよいよ常一の宮大工としての集大成ともいうべき仕事に取り組むことになります。 薬師寺宮大工棟梁となる 金堂再建 法輪寺三重塔再着工と父楢光の死 薬師寺西塔再建 薬師寺宮大工棟梁となる 1967(昭和42)年、薬師寺の管長に高田好胤が就任します。 好胤といえば、話の面白いお坊さんとして有名ですね。 仏法の種をまくことを自身の使命と考えた好胤は、修学旅行生への法話に力を入れ、ユーモアあふれる法話が人気を博し、東京の三越劇場でも多くの聴衆を集めて法話を行うほどの有名人でした。 そんな好胤が管長となって目指したのが、歴代薬師寺住職たちの悲願