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江戸を造った法隆寺番匠 中井正清 - 歴史好きの大和徒然草子
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江戸を造った法隆寺番匠 中井正清 - 歴史好きの大和徒然草子
皆さんこんにちは。 飛鳥時代からの建築が今なお健在な法隆寺。 この建築を支えてきたのが、代々法隆寺... 皆さんこんにちは。 飛鳥時代からの建築が今なお健在な法隆寺。 この建築を支えてきたのが、代々法隆寺に奉仕してきた番匠(宮大工)たちです。 法隆寺が生んだ不世出の宮大工といえば、昭和の大修理や薬師寺の伽藍復興で活躍した、西岡常一棟梁を思い浮かべる人も、多いのではないでしょうか。 www.yamatotsurezure.com 西岡棟梁が生まれた法隆寺西里の地は、もう一人、戦国時代の末に不世出の大工を輩出しています。 その名は中井正清。 家康に仕えて江戸初期の多くの大規模建築の棟梁を務め、大工棟梁でありながら1000石を知行したうえ、従五位下大和守に叙任され、後に初代京都大工頭となって畿内一円の大工たちを従えました。 今回は、異例の人ともいえる法隆寺番匠棟梁、中井正清をご紹介したいと思います。 法隆寺番匠から天下人の大工棟梁 家康の天下普請を支える 方広寺再建と大坂の陣 紫宸殿の造営と東照宮