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筒井氏退去と石田三成の家臣となるまで。嶋左近(3) - 歴史好きの大和徒然草子
皆さんこんにちは。 その人生と実像が謎に包まれた嶋左近(島左近)について、筒井順慶の家臣時代につい... 皆さんこんにちは。 その人生と実像が謎に包まれた嶋左近(島左近)について、筒井順慶の家臣時代について、ご紹介してきました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、順慶死後の左近の動向について、ご紹介していきたいと思います。 筒井氏退去 石田三成の家臣へ 筒井氏退去 順慶死後も、左近は筒井定次の旗下にあったようで、1585(天正13)年3月の秀吉による紀州攻めに参加した様子が、「根来焼討太田責細記」に記述されています。 この紀州攻めでは、定次が大きな活躍を見せるのですが、「根来焼討太田責細記」によると、激戦となった千石堀城の戦いにおいて、「根来一の荒法師」とおそれられた守将の的一坊を討ち取ったのは、左近とされています。 後の猛将イメージどおりの活躍といえますね。 同年閏8月に、筒井氏は伊賀に転封となりますが、左近もこれに従って伊賀に赴いたようです。 しかし、実際のところ、史