エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
ジャイアント馬場時代からアントニオ猪木時代へ移行した時期?:昭和プロレス今昔:So-netブログ
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
ジャイアント馬場時代からアントニオ猪木時代へ移行した時期?:昭和プロレス今昔:So-netブログ
ジャイアント馬場の全日本プロレスが創設されたのは1972年。日本テレビがバックにつき、力道山家が役員... ジャイアント馬場の全日本プロレスが創設されたのは1972年。日本テレビがバックにつき、力道山家が役員に入り、ドリー・ファンク・シニアがガイジンルートを保証してくれた上にNWA臨時総会まで開いて加盟をしてくれ、さらに伝統の日本プロレスが合流。これ以上ないお膳立てでした。一方、新日本プロレスはアントニオ猪木が日本プロレスを除名されて創設。テレビも当初はつかず、強豪ガイジンは華がないカールゴッチだけ。にもかかわらず、1974年を境に両団体は勢いが逆転します。 時折このブログでも追いかけている『週刊大衆』の連載、「1964年のジャイアント馬場」(柳澤健著)について書きます。毎週話が進むので、追いかけるのも大変です。 タイトルの「1964年」というのは、力道山が亡くなった翌年のことです。昭和プロレスという範疇でもかなり昔になります。つまり、ジャイアント馬場がグレート東郷から大金の契約書を提示されても