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司馬遼太郎「仏教と迷信産業」
「仏教と迷信産業」は「歴史と風土」の中にあるエッセイだ。表題から予想されるように司馬遼太郎は現代... 「仏教と迷信産業」は「歴史と風土」の中にあるエッセイだ。表題から予想されるように司馬遼太郎は現代の日本の仏教はお釈迦さまが始めた仏教とはまるで違い、仏教臭い民俗に乗っかった商業主義だと批判している。司馬遼太郎から教えてもらうまでもなく、原始仏教では霊魂の存在を認めないが、われわれ日本人の民俗感情では死者の霊魂のみならず、自然の至るところに神(または魂=生命の根幹)はあり、先祖代々連綿と続く霊魂の存在を漠然と感じて暮らしていると言えるだろう。もっとも霊魂の感じ方は人様々で、なにか物理的実在があるかのように感じる人もいれば、もっと乾いた精神的存在としてしかとらえていない人もいるだろう。 葬式仏教となっている日本の仏教は、霊魂の存在を認めなければ葬儀そのものも意味を失うはずだ。 司馬遼太郎は次のように書いている。 お釈迦さんが亡くなって、火葬に付して、その骨は舎利として、お釈迦さんの遺体の一部と