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白水社 :連載・エッセイ 特別寄稿 前田司郎「生きてるものはいないのか?考える」
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白水社 :連載・エッセイ 特別寄稿 前田司郎「生きてるものはいないのか?考える」
生きてるものはいないのか? いるのか? そう問いかけるものは生きているはずだから、生きてるものは... 生きてるものはいないのか? いるのか? そう問いかけるものは生きているはずだから、生きてるものはいるのだ。しかし、生きてるという状態は、死につづけている状態であるのだと思う。 人は、いや生物は生まれながらに死につづけている。行き着く先は死である。 僕たちは生まれながら何かを──寿命といっても良いしもっと簡潔に命といっても良いかもしれない──を、少しずつ消費していっているはずだ。だけど、僕たちにその実感はなく、どちらかというと何かを、積み上げていっているような実感を持っている。だから生きられるのだ、と思う。その錯覚といおうか、思い込みといおうかがあるからこそ、僕は生きていける気がする。 その力、即ち、そう錯覚させる何か、に生きるということの神秘の答があるように思う。 いや本当は、生きるってことに神秘など無い。 僕らの生は本当はのっぺりしていて、陰影も無く、絶望的に平坦であるのだと思う。僕らは