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第15章 アンビバレントな関係-近代の日本とオーストラリア
メニュー 要約 用語解説 感想 要約 1854年の日英和親条約締結以降、日豪の接触が本格化する。日本に興味... メニュー 要約 用語解説 感想 要約 1854年の日英和親条約締結以降、日豪の接触が本格化する。日本に興味をもつ人々が来日し、日本の情報をオーストラリアへ伝えた。さらに1870年代から80年代にかけて、博覧会や演劇を通じて、日本ブームが引き起こされ、オーストラリアにおける伝統的日本のイメージを広めた。 一方、オーストラリアの存在が日本で知られるようになると、移民としてオーストラリアへ渡る日本人が現れ、現地では彼らの優秀性が注目された。しかし、連邦政府が白豪主義政策のもと、移民制限法を制定することで、移民数は減少していった。連邦政府の論理によれば、日本人はその「優秀性」ゆえに排除しなければならなかったのである。日露戦争後、オーストラリアでは日本への恐怖感が高まっていく。その反面第一次大戦では、「歓迎せざる」同盟国として行動をともにし、経済関係は強化された。 太平洋戦争の勃発によって、日豪関係
2005/03/14 リンク