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東京新聞:永遠の平和(5)「閣下」の酪農 関宿で続く 貫太郎、故郷発展に尽力:千葉(TOKYO Web)
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東京新聞:永遠の平和(5)「閣下」の酪農 関宿で続く 貫太郎、故郷発展に尽力:千葉(TOKYO Web)
終戦直前の一九四五年八月だった。当時十代で陸軍二等兵だった野中鉚市(りゅういち)(89)は、勝浦... 終戦直前の一九四五年八月だった。当時十代で陸軍二等兵だった野中鉚市(りゅういち)(89)は、勝浦町(現・勝浦市)の海岸近くで一人用の塹壕(ざんごう)「たこつぼ」を掘っていた。本土決戦となれば、米軍は千葉の九十九里方面や九州から上陸してくると予想されていた。 八月十五日の昼すぎ、将校がいつになく荒れていた。生け垣を力いっぱい軍刀でたたき切る。理由は後で分かった。終戦を告げる天皇の玉音放送がラジオで流れたためだった。 死ぬ覚悟でいた野中も、肩透かしを食った気持ちだった。しかし「うちに帰れる」と思うと、やはりほっとした。その時はまさか故郷の関宿町(現・野田市関宿町)で、その終戦の立役者の一人となった鈴木貫太郎の世話になるとは夢にも思っていなかった。