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【日本の解き方】白川日銀で失われた「24兆円」 高すぎた自己評価に責任転嫁 - 政治・社会 - ZAKZAK
白川方明(まさあき)総裁は、5年前の2008年4月に就任した。本来は副総裁だったが、ねじれ国会で... 白川方明(まさあき)総裁は、5年前の2008年4月に就任した。本来は副総裁だったが、ねじれ国会で総裁候補が不同意となったことで総裁に昇格した。 白川総裁は、日銀では調査・企画畑を歩んだ。日本のバブル経済崩壊時の金融引き締めの経験があり、2000年8月のゼロ金利解除と06年3月の量的緩和解除で企画に重要な関与をし、本人が自ら金融政策が趣味とまで言い切るなど、日銀内では金融政策の知恵者とみられている。 ところが、本コラムの読者であればわかるように、これらはすべて日銀の政策失敗である。それを確認するには、もしインフレ目標2%が導入されていたら、という仮想問を考えてみればわかる。 バブル期は資産価格が上昇したがインフレ率は高くなかったので、金融引き締めは誤りだった。00年8月と06年3月時点のインフレ率はマイナスで、まだデフレだったので、これらの金融引き締めも間違いだ。 日銀は官僚組織なの
2013/03/14 リンク