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第五倫伝
第五倫は字を伯魚という。京兆長陵の人である。その先祖は斉の田氏の 一族であった。(※史記に曰く。陳... 第五倫は字を伯魚という。京兆長陵の人である。その先祖は斉の田氏の 一族であった。(※史記に曰く。陳の公子完は斉に亡命し、陳の字から 田氏を称した。応劭の注に曰く。初めて田から採った野菜を食べ、姓を 田氏に改めたのである。) 田氏の一族は園陵に移された者が多く、故にその順序を氏としたので ある。 第五倫は若くから意志が固く義行があった。王莽の末に盗賊が起こると、 一族・郷里の人間は争ってその下に身を寄せた。 第五倫はそこで、堅固な地に拠って砦を築き、賊が来ると、その部下を 励まして奮い立たせ、強弓を目一杯に引き絞り、(敵を威嚇して)これ を防いだ。 銅馬・赤眉の仲間の前後数十に上る者たちは皆これを攻め下す事ができ なかった。(※東観記に曰く。時に米一石が一万銭に高騰し、人々は 食らい合ったが、第五倫は一人、父を失った兄の子・外孫を引き取って 養い、食糧を分かってともに食べ、互いに命を守り合い