ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (3)

  • 「文学」ではそうなの? - Living, Loving, Thinking, Again

    小谷野敦氏曰く、 田中貴子さんがよく寄稿している日文学協会の『日文学』に投稿して没になった。短すぎるから、というなら仕方ないと思いつつ、没の理由を聞かせてくれと言ったら、もちろん無記名の返事が来て、 「『源語提要』の著者が五井蘭洲であることは、伊井春樹編『源氏物語注釈書・享受史事典』に暗に示されているから」というのだよ。なんで「暗に」示すのか。明に示せばいいではないか。私はそれで日文協を脱退して、「まじめにやれ」という手紙を書いておいた。田中貴子の「安徳天皇女性説について」なんて、エッセイでしかないものを載せる雑誌だからね、あれは。 査読者が常にまじめである、という保証はどこにもない。要するにこれの場合は、野口武彦とかへの遠慮としか思えない。太郎丸氏*1は、査読者がまじめであるという保証をどこで得るのだろう。それとも、社会学の世界では査読者はみなまじめなのだろうか。 http://d.

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    esnn
    esnn 2009/04/18
  • 「エホバの証人」を巡ってちょっとランダムに - Living, Loving, Thinking, Again

    「八幡宮」をsectと呼ぶのはどうよということを書いたのだが*1、「エホバ*2の証人」をセクトと呼ぶのは通例といえるだろう。 「エホバの証人と輸血の話」と題するエントリー*3で鰤さんが「エホバの証人」の「輸血」を巡る教義の変遷に言及している。また、「輸血」禁止の教義について、聖書解釈のレヴェルで「エホバの証人」の見解を批判している。曰く、「そもそも聖書筆者には輸血などという概念はなかったのだから、むしろ聖書は輸血に関して何もいっていないという解釈の方が素直なのではないだろうか?」。 ところで、鰤さんは「エホバの証人の教義がやたらめったら変更されることは、エホウォッチャーの間では有名な話で、一般的にも知られているのはハルマゲドン予想の変更だろう」。ただ、世俗社会の動向に合わせて教義が変更されるというのは、特に新宗教ではそう珍しくない話だろうとは思う。身近なところでは、1960年代以降の創価学

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    esnn
    esnn 2009/03/26
  • 敵の敵は - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090227/1235705016やhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090303/1236060278に関連して。 松尾匡「新社会党のどこが問題なのか」http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_210171.html 2002年のテクストだが、松尾匡氏が「新社会党」などの旧社会党左派に関して、その「主敵のライバルにつく傾向」を批判している。曰く、 そして、少数派の孤立した闘いでは元気がでないからこそ、主敵のライバルにつくという傾向が生まれる。 ソ連は、主敵アメリカのライバルだったからこそ、いろいろあるかもしれないが足をひっぱらないよう目をつぶってきた。社会党は、自民党のライバルだったからこそ、右傾化する指導部にさんざんい物にされながら、最後までくっついてきた。とい

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    esnn 2009/03/09
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