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お笑いに関するesuji5のブックマーク (2)

  • 2009-03-10 - 死んだ目でダブルピース

    前回のエントリーでは、東京芸人の大阪での奮闘ぶりを紹介したけれど、今回はその逆で、かつてダウンタウンが、東京でどのように戦ってきたかという話。 1989年秋、ダウンタウンは大阪のレギュラー番組をすべて終了させ、東京に移住した。 当時、二人は26歳。すでにフジテレビで『夢で逢えたら』『笑っていいとも』などのレギュラー番組を持っていたが、当時のスタッフはダウンタウンの持ち味を生かしきれず、単独での人気は今ひとつ伸び悩んでいた。 自分たちの笑いをスタッフにすら理解されず、「松ちゃん、もっとハジけないとダメだよ」などという失礼な言葉を投げかけられたこともあった。 松人志はのちのインタビューで、こう語っている。 「今とは大阪のタレントの受け入れられ方も全然違いますからね。『あ、関西の人なんだ(標準語のイントネーションで)』ってひいた部分はありましたよ。」*1 今では信じられないことだが、この時期、

    2009-03-10 - 死んだ目でダブルピース
  • 「M-1グランプリ」で戦うために - てれびのスキマ

    いよいよ1週間後に迫った「M-1グランプリ」。 過去の例から見ても、ここで活躍をすればその後の人生を変えるといっても過言ではない大会である。もちろんこの大会に出る芸人は、それに向けて様々な努力をして挑んでいる。しかし、基的にぼくらは、その完成されたネタしか見ることが出来ない。 そんな舞台裏を描いた貴重な資料としても一級品なのが昨年のM−1王者サンドウィッチマンの「敗者復活」である。 富澤たけしが、「M-1」に向けた準備について述懐している。 2007年のM-1に向けて、僕は集中的に研究を重ねていた。 『紳竜の研究』など、完成度の高い漫才DVDを片っ端から見まくった。ただ見るだけじゃなくて、「間」を測る方法、言葉の使い方、ネタの磨き方、お客さんの的確なつかみ……取り入れるべきポイントを意識的にチェックした。過去のM-1決勝のDVDも繰り返して見た。決勝に進出したコンビが、何をやって、どうい

    「M-1グランプリ」で戦うために - てれびのスキマ
    esuji5
    esuji5 2008/12/15
    お笑いに詳しいってこういうことか
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