みんなインタヴュー形式のところをベタベタって言うけどさー、主人公と鑑賞者の間に露骨なまでに悪意を存在させ、鑑賞者は常に悪意の目を通してでしか主人公を見ることはできないっていうのは、「スゲーよ」とは言わないまでも「なかなか面白いことやるじゃん」とは思うんだけどなー。 でも本来カメラ(=映画という行為)はそういう力が勝手に入り込むものであって、それを「あえてわかりやすく」したこの試みは、面白いとは思うけど同時に、彼の作るコントのように「すべてをセットに持ち込み、そこで完結させる」悪い意味での「収まりの良さ」があるというか、映画自体が用意された場所にそのまま甘んじてしまったと思う。敵はもっと大きいもののはずだろう(ただし、ラストではそこに照準を合わせることが出来ていた)?松本による「完璧に配置された世界」の枠から、悪意が突き出し、彼の意思の及ばないもの制御できないものになったとしたら、『大日本
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く