タグ

ブックマーク / tokyocat.hatenadiary.jp (4)

  • 否定や疑問こそ言語の本質ではないか - 東京永久観光

    さて、言語の質とは何だっけ。これを機にさっと思い起こそう。 チョムスキーは、つまるところ「再帰性」だと考える。 再帰性(recursion)とは、たとえば、「彼は感染した」という文が、「「彼は感染した」と医者は言った」、 「「「彼は感染した」と医者は言った」」と君は信じている」、 「「「「彼は感染した」と医者は言った」」と君は信じている」」」と私は思う」、のように同じ構造を入れ子にしていくらでも拡張できる性質をいう。 この性質は人間の言語にしかない、つまり他の動物の認知には決して現れないとチョムスキーは確信する。そして、再帰性の何がすごいのかといえば、有限の語を使って無限の文が産み出せることだとする。 しかし、こう強調されて素朴にどうだろう。私は正直「ふ〜ん」という感じだった。 言語がわかる能力はヒトの脳だけに固有のしくみとして埋め込まれている。したがって、世界のあらゆる言語において文を

    否定や疑問こそ言語の本質ではないか - 東京永久観光
  • 私は「偉大な質問になりたい」(少年寺山修司が言ったとか?) - 東京永久観光

    動物の鳴き声はいくつかの理由で私たちの言語とは違うものとされる。だからこれは無意味な問いかもしれないが、彼らに疑問や否定はないのだろうか? いやじつはすべて命令だったりするのか? 「おまえら、どうなんだよ」 「ワン」 「ニャー」 「G〜」(岩にしみいる蝉の声) 「…ちゃぽん」(蛙とびこむ水の音) たとえば英文法では、文はその内容から「平叙文・疑問文・命令文・感嘆文」に分類されるという。それとは別に「肯定文・否定文」の区別もある。(『ロイヤル英文法』2000年) しかし私たちも大昔はどうだったのだろう。言語をまったく使わない段階があったはずだが、まずは平叙文や肯定文を口にするようになり、だいぶ後になって疑問文や否定文がやっと出てきたのだろうか? 実際、そんな分類ができるほど明確でも複雑でもないものから言葉は始まったのだろうとは思う。 ……でもきのうふと思ったのは、「私たちの初めての言葉が疑問

    私は「偉大な質問になりたい」(少年寺山修司が言ったとか?) - 東京永久観光
  • 東京猫の散歩と昼寝■年金の長いトンネルを抜けると選挙であった

    『日語に主語はいらない』というがある(金谷武洋 2002)。いくらか反感も買っているらしいが、読むとまさに目から鱗が落ちる。我らが言葉の正体もしくは極意を初めて掴んだ感じがする。asin:4062582309 英語の5文型というのはしつこく習ったから知っているだろう。ところが日語の文型を問われたら「はて」と首をかしげてしまうのではないか。まあ異常と言うべし。でも実は日語にも「名詞文・形容詞文・動詞文」という3文型がある。外国人の日語学習では一般的であり、実際みごとに合理的な分類になっている。 その3文型の例として、金谷がまず挙げるのが以下。 「赤ん坊だ」「愛らしい」「泣いた」 そうこれは文である。我々はこのような日語をよく使う。これで不足はない。そしてたしかにここに主語はない。これぞ日語の基というわけだ。もちろん上記は、「ポストに入っていたのは赤ん坊だ」とか「酔った勢いで書

    東京猫の散歩と昼寝■年金の長いトンネルを抜けると選挙であった
  • 『ニッポンの小説』 もう何も生えないのかというと… - 東京永久観光

    高橋源一郎『ニッポンの小説 ―百年の孤独』(asin:416368610X) なにか言いたいはずなのに、うまく言えない。どうしていいか分からない。それだけが小説なのだ。だからこそ小説を書いていたいのだ。ニッポン死すとも、小説は死なず! ――だいたいこんな要約と結論で、いかが? 高橋源一郎は、やはり、「言語では表現しえないなにか」について考え続ける人なのだ。言語では表現しえないなにか。たとえば「死者を描くこと」、たとえば「他者と関わること」、たとえば「存在とは何か」、たとえば「コミュニケートすること」。 * 師匠「神とはいかなるものか、答えよ」 弟子「森羅万象の創造主です」 師匠「くだらぬ。神はそのようなものではない」 弟子「では、これこれこういうものですか」 師匠「あまい。わかっとらんな」 弟子「では、かくかくしかじかのものでしょうか」 師匠「それも違う」 弟子「ということは…。もしや神は

    『ニッポンの小説』 もう何も生えないのかというと… - 東京永久観光
  • 1