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ブックマーク / note.com/free_will (4)

  • なぜ高齢者の集団自決は社会問題の解決にならないのか?|山口尚

    高齢化の問題を解決する唯一の方法は高齢者の集団自決だ――と(比喩ではなく)文字通り主張するひとがいると仮定しよう。ノートでは、そのように主張するひとが見逃しがちな事柄を指摘したい。 ただし論に入る前に注意点がある。ノートを書こうと思ったきっかけの一部は昨日あたりからのツイッターのトレンドだ。とはいえ、細かな議論をすっとばして言うと、ノートの議論は成田悠輔人には関わらない。なぜなら、そこを関わらせるためには彼の発言の意図を明確化せねばならないが、それについてはよく分からないところのほうが多いからである。それゆえノートの議論は、《誰がどうだ》ではなく、むしろ《どの主張にどんな問題があるのか》という話題に焦点を絞る。 さて冒頭で述べた仮定だが、「高齢化にまつわる問題を解決する唯一の方法は高齢者の集団自決だ」と文字通り主張するひとがいる、としよう。はじめに押さえるべきは、「高齢者の集団

    なぜ高齢者の集団自決は社会問題の解決にならないのか?|山口尚
  • 量子力学を持ち出すだけでただちに自由意志の存在が救われるわけではない、という点について|山口尚|note

    量子力学はいわゆる古典力学とは質的に異なる世界像を提示するので、自由意志をめぐる問題を考察するさいにはそれなりに知っておくべきものだと言える。そして優先度は高い。じっさい自由意志の哲学に取り組もうとするさいには、例えば〈決定論的オートマトン〉と〈非決定論的オートマトン〉のパワーの違い、チューリングマシンの仕組み、無意識にかんするフロイトの理論などの、純粋哲学の外部の知見をいろいろと知っておいたほうがいいのだが、量子力学はそうしたリストの上位に入る。それゆえ私は、例えば《停止性問題を解決するプログラム[*]は存在しえない》という命題の証明を見た後などに、「では河岸を変えて量子力学のモデルを構築できるようになることを目指しまずはヒルベルト空間のことや自己共役演算子のことを勉強しよう!」などと提案したくなる――だいたい「波束の収縮」のモデルをつくることができるところまで進めば〈量子力学が自由意

    量子力学を持ち出すだけでただちに自由意志の存在が救われるわけではない、という点について|山口尚|note
  • 論理的な文章を書くためには|山口尚

    《いかにして論理的な文章を書くのか》を非体系的に説明したい。例えば次のような型をもった文章は「論理的」と言える。 以下の文章は A と主張する。この主張はより厳密には B ということを意味する。それゆえこの文章は、C と述べるものではなく、むしろ D を指摘する。 このように〈理屈の骨格が明示化された文章〉が「論理的」と呼ばれる。そして論理的な書き手は自分の文章の論理構造が適切に表現されているかにこだわる。この点へのこだわりのないひとの文章はほぼ確実に、非論理的(正確には没論理的)なものになる。 先のサンプルに即して《論理的な書き手が何にこだわるか》をより具体的に説明すれば以下。問題の事例において書き手は、自分の主張(A)が自分の意図せぬ内容(C)と誤解されうる(当の言いたいのは D だが)、という可能性を気にしている。こうした誤解を前もって防ぐには A の意味を明確化するのがよい――か

    論理的な文章を書くためには|山口尚
  • カントが何をやっているのかまったく分からず困っているひとのために|山口尚

    カントが何をやっているのかまったく分からない、と言われることがあります。私自身もそれほど詳しいわけではありません。とはいえ、あまりに頻繁に「カントはまったく分からない」と言われるので、〈カントの勉強を始めるさいに便利でありうる手引き〉を作成しました。 以下の〈手引き〉は、一般に「カント哲学」として知られている事柄を私の言葉で整理整頓したものです。それゆえひとによっては分かり切った内容しか書かれていないと感じるでしょう。また、カントの立場を「正確に」説明しようとすれば分からないテクストを再生産することになりますので、意図的に叙述をぼやかした箇所もあります。今回の〈手引き〉が、カント哲学のさしあたりの全体像を形成し、それによってカントを学び始めるきっかけとなれば幸いです。 >>>>> カント(1724-1804)とはどのような哲学者でしょうか。カントより前の時代にはデカルトやライプニッツなどが

    カントが何をやっているのかまったく分からず困っているひとのために|山口尚
    facebooook
    facebooook 2022/10/15
    “言い換えれば、たんなる道具として扱われているひとが誰もいない社会が理想だ、ということ。誰しもが「あなたのために」という敬意を得ている社会はときに「目的の王国」と呼ばれたりします。”
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