新月お茶の会(http://newmoon.sakura.ne.jp/)会員・只野胡椒氏(@Tadano_Kosho)の調べた、「中二病」概念の歴史まとめ。最後にまとめ主のツイートも追加。 ※参考リンク 影羅→ http://yet.s61.xrea.com/mt/archives/000121.html 邪気眼→ http://guideline.livedoor.biz/archives/50234008.html (>>276の投稿)
サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。
いつも学術的な視点で面白い記事を書かれているnext49さんが「発生練習 - 出典の明記をしないので責任どっかぶりの予感」という記事にて出典を明記する重要性を書かれています。 で、ハムスター速報:とくダネ!で福島の農家がJA天草(熊本)の米袋に産地偽装してるのが堂々と流れるは、2chの書き込みをまとめているというスタイルだけど、どこのスレッドからコメントを転載しているのかが書いていない。なので、「この悪意のある情報発信はお前がやったのか?」と言われたときに「いえ、転載しているだけです」という言い訳が立たないように思う。 なぜ、引用・転載をする際には出典を明記しなければいけないのかで書いたように出典の明記は自分を守るためという意味合いもあるのにの一つの例。 確かに出典を明記していないので「いえ、転載しているだけです」という言い訳ができないという解釈はその通りだと思いました(本件に関係無く出典
新サービスに乗り遅れに定評のある @tsuda さん。「tsudaで登録すんな俺のだ」フジ工作話でも話題 1 :名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/09/04(日) 03:13:09.66 ID:kA/nQUM6P ?BRZ(10204) ポイント特典 津田「Sumallyがオープンしたので「tsuda」で、ID取ろうと思ったら +mamono news が取得してた。本気でこういうのいやなんですけど。」 津田「こういうせこい悪意にさらされるのが一番疲弊するね。」 津田「早い者勝ちってのはわかるけど、今回は明らかに嫌がらせで、俺も協力してる知り合いのサービスだからねぇ……。」 津田「Sumally、知り合いがサービス作ってて、写真提供とかで協力したので「tsuda」にできないかな?と頼んだんだけど、 勝手にアカBANするわけにもいかないし、困ってるみたい。 +mamono ne
個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。 攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。 これについては、前に「情報の階層化」という論点を提示したことがある。 ちょっと長い話になる。 かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。 讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。 その頃の日本人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。 政治的意見にしても、全国紙の社説のどれかに「自分といちばん近いもの」を探し出して、とりあえずそれに同調することができた。 「国論を二分する」というような劇的な国民的亀裂は60年安保から後は見ることができない。 国民のほとんどはは、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口
対面での批判なら、そこから議論が生まれ、物事が建設的な方向に進む可能性があるから分かるけど、 ネット上で批判を繰り広げても、その行動コストに見合うだけの効果が得られにくい気がする。 反論意見が排除される集団極性化が機能しやすいから、議論に関しても生まれにくいし。 「ただのストレス発散だから別に効果なんてどうでもいいんだよ!」とか言われそうだけど、 批判することによって対象が改善されるケースなんて実はそんなにないわけで、 逆に批判しても批判しても対象が改善されなかったら増々ストレスがたまるものじゃないの? もし本当に今の自分の境遇に不満があるなら、何かを批判して不満を解消させるんじゃなくて、 その境遇に陥ってしまった自分自身の甘さを省みて、現実的な抜け出す努力をしたほうがきっといい。 社会に対する不満だって、自身の境遇の変化によって意外にどうでもよくなるかもよ? 最近のネット上の文章って批判
『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 64 回 フォロワー数で変わるツイッターのメディア性 月刊『アルコムワールド』 2011/07号 要約:ツイッターの持つメディアの特性は、フォロワー数によってだんだん変わる。それに自覚的でない人の多くは、自分のおかれた環境にまったく鈍感なために愚かしい醜態をさらすことが多い。が、求める水準のメディアにとどめるための作業もむずかしい。 ある人の書くものでも、あるいはツイッターのツイートでもいいけれど、長いこと見ていると、ときどきその人がだんだん——または突然——おかしくなって、ぎょっとすることがある。今回の震災と原発事故では特に、ツイッターでそんな光景が見られた。それまで普通あるいは高めの見識を持つと思っていた人が、いきなりわけのわからないことを言い、デマに踊らされ、それをたしなめられると逆ギレして相手を罵り、過去の発言との矛盾を指摘されると変な言い
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く