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ルワンダに関するfreedomcatのブックマーク (10)

  • 殺した人、家族を殺された人がともに

    freedomcat
    freedomcat 2015/01/22
    "「修復的正義」というのは、加害者が真摯に罪と向き合い被害者にこころからの償いをすることで両者の関係を修復させていこうというもの。"
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  • ろうそくの炎で犠牲者を追悼、ルワンダ大虐殺から20年

    ルワンダの首都キガリ(Kigali)の競技場で行われたジェノサイド(大量虐殺)から20年の追悼式典で、ろうそくの火を受け渡す若者と女性(2014年4月7日撮影)。(c)AFP/SIMON MAINA 【4月8日 AFP】アフリカ中部ルワンダでジェノサイド(大量虐殺)が起きてからちょうど20年となった7日、日没後の首都キガリ(Kigali)の競技場に大勢の人が集まり、ろうそくに火をともして少数派のツチ(Tutsi)人と多数派のフツ(Hutus)人穏健派の少なくとも80万人とされる犠牲者を悼んだ。 小雨が降り、穏やかな音楽が流れる中、ポール・カガメ(Paul Kagame)大統領が最初のろうそくに火を付け、競技場を埋め尽くした人々がその炎を受け渡していった。スタンドに座った人たちは手にしたろうそくの炎を見つめ、それぞれが20年前の惨事に静かに思いを巡らせた。 同日はこれに先だち、国の要人や大虐

    ろうそくの炎で犠牲者を追悼、ルワンダ大虐殺から20年
  • 大虐殺関与の 「真実見よ」とルワンダ、仏大使の式典出席拒否

    ルワンダのニャマタ(Nyamata)にある虐殺記念館で、1994年に起きたジェノサイド(大量虐殺)で被害を受けた子どもたちの写真を見る来館者(2014年4月4日撮影)。(c)AFP/SIMON MAINA 【4月7日 AFP】(一部更新)1994年にアフリカ・ルワンダで起きたジェノサイド(大量虐殺)をめぐり、ルワンダ政府は6日、フランスに対し、同国が虐殺に関与したという「難しい真実」と向き合うよう求めた。多数派フツ(Hutu)人主導の政権下で80万人のツチ(Tutsi)人が犠牲となった大虐殺から20年の節目を目前に控え、両国間では激しい火花が上がっている。 ルワンダでは7日に政府主催の追悼式典が開かれる。しかしフランス政府は、ルワンダのポール・カガメ(Paul Kagame)大統領が大虐殺へのフランスの関与を改めて非難したことを受け、予定されていたクリスティアーヌ・トビラ(Christia

    大虐殺関与の 「真実見よ」とルワンダ、仏大使の式典出席拒否
  • 隣人は家族のかたき、大虐殺から20年 ルワンダ 和解への道

    ルワンダの東部州(Eastern Province)ムビョ(Mbyo)村で、エスペランス・カジグウェモ(Esperence Kaziguemo)さん(右)宅の前に座り籠を編むセシル・ムカガサナ(Cecile Mukagasana)さん(左)。エスペランスさんの夫フレデリック・カジグウェモ(Frederic Kazigwemo)さん(フレーム外)は、1994年の大虐殺の際に他の男たちとともにムカガサナさんの家族を殺害した。この村は大虐殺後の和解を促進するため、加害者と被害者の家が隣り合うように作られた(2014年3月12日撮影)。(c)AFP/PHIL MOORE 【4月6日 AFP】ルワンダのフレデリック・カジグウェモ(Frederic Kazigwemo)さん宅の周辺には、同国農村部の典型的な風景が広がっている。粗末な日よけの下で牛が草をはみ、キャッサバが天日に干され、女性たちが籠を編む

    隣人は家族のかたき、大虐殺から20年 ルワンダ 和解への道
  • ルワンダ大虐殺から20年、今も続く責任追及

    ルワンダの首都キガリ(Kigali)の高等裁判所で陳述する、少数民族ツチ(Tutsi)を標的とする暴力を扇動した罪で起訴されたレオン・ムゲセラ(Leon Mugesera)被告(右から2人目、2014年3月11日撮影)。(c)AFP/PHIL MOORE 【4月3日 AFP】ルワンダの首都キガリ(Kigali)にあるほぼ誰もいない法廷で、レオン・ムゲセラ(Leon Mugesera)被告は、20年前に「ゴキブリ」を皆殺しにしろ、などといったヘイトスピーチ(憎悪発言)を繰り返し、少数派のツチ(Tutsi)人を標的とした暴力を扇動した罪の裁きを受ける──。 1994年に起きたジェノサイド(大量虐殺)では、約100日間で80万人以上が殺害された。これまでの調査によって、多数派のフツ(Hutu)人の指導者たちが民兵を組織し、虐殺を行ったことが明らかになっている。 ムゲセラ被告を起訴したアライン・ム

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  • ルワンダ大虐殺から20年、被害者と加害者が体験談

    ルワンダ西部のルバブ(Rubavu)で、「ルワンダ大虐殺」から20年になるのを前に行われた追悼式典(2014年2月20日撮影)。(c)AFP/STEPHANIE AGLIETTI 【3月24日 AFP】カバンダさん(33)は多数派フツ(Hutu)人の民兵組織インテラハムウェ(Interahamwe)が押し寄せて来た1994年4月7日のことをよく覚えている。「ルワンダ大虐殺」が始まった日だ。 大虐殺の生存者の会の地元代表を務めるカバンダさんは、惨劇から20年になるのを前に開かれた追悼式典で、「彼らがやって来て、街の中心部に私たちを連れて行くと父に言った。兄も連れ去られ、父や兄には会うことは二度となかった」と話した。 フツ・パワー(Hutu Power)と呼ばれるフツ至上主義から成るイデオロギーを扇動し、少数派ツチ(Tutsi)人の壊滅を目指したインテラハムウェは、カバンダさんの家族や他の人々

    ルワンダ大虐殺から20年、被害者と加害者が体験談
  • | ONE WORLD!! im from 秋田。

    freedomcat
    freedomcat 2014/02/08
    日本政府が支援した学校があって、旅人が行くと喜んで迎えてくれる。
  • 大虐殺から20年 「奇跡」と呼ばれるルワンダの発展 (WEDGE) - Yahoo!ニュース

    「あれは7歳のときでした。母から絶対に外へ出ないように言われ、家の中で息を潜めていたのを覚えています。暮らしていた首都キガリを出て、難民キャンプへも行きました……」駐日ルワンダ共和国大使館に勤めるサムエル・ビゲンベ・イマニシムエさんは当時をそう追憶する。 2014年は世界を震撼させた「ルワンダ大虐殺」から20年という節目の年である。1994年、ジュベナール・ハビャリマナ大統領の暗殺をきっかけとして、フツ族過激派がナタやクワを凶器に、ツチ族とフツ族の穏健派を虐殺した。約100日の間に100万人が犠牲になった。 悲劇のイメージが拭えないルワンダだが、実はこの10年の間、毎年8%前後の高い経済成長率を誇っている。アフリカにおける経済成長国は、資源国と同義であるケースが多いが、同国に鉱物資源はほとんどない。内陸国というハンデも抱えながらの成長は「アフリカの奇跡」と評される。 アジア経済研究所の

    大虐殺から20年 「奇跡」と呼ばれるルワンダの発展 (WEDGE) - Yahoo!ニュース
    freedomcat
    freedomcat 2014/01/11
    ルワンダって入国時に自然保護のためポリ袋とかの持ち込みチェックが厳しいらしい。
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