零戦、日本の空を飛ぶ 鹿児島・海自基地で試験飛行 パプアニューギニアで回収された機体がレストアされ日本の空を飛んだ! 次はパイロットも日本人なら、もっといいな ゼロ戦(零戦)を知る
ゼロ戦(零戦)の主翼の上のペイントの意味は? 「ここを踏むな」「ここに乗るな」という意味です。 翼の上に人が乗る?という疑問が出るかもしれませんが、 実際に、翼の上に人が乗ることは多くあります。 先ず、給油>のときコクピット(操縦席)の整備のとき。 これも主翼の付け根付近に乗って作業をすることになります。 そして、パイロットが搭乗するとき。 主翼に足をかけて乗り込むことになります。 それらのときに、人が乗ると壊れるところ、強度が弱いところを 踏まないように、目印としてペイントがされていました。 フラップや補助翼などの可動部が、それにあたります。 また、ゼロ戦(零戦)は、軽量化のために、フレームに穴を空けたり、 必要強度ギリギリまで薄くしている箇所も多くあります。 そういうところを踏んでしまって破損しないように、 「ここを踏むな」という意味のペイントです。 また、補助翼や昇降舵に、 「サワル
ゼロ戦(零戦)の主脚も ショックアブソーバーの技術に貢献 ショックアブソーバー(緩衝装置)は、 車やバイクのサスペンションシステムをはじめ、 機械には欠かせない装置です。 今の、ショックアブソーバー(緩衝装置)の完成度、 品質、性能は、素晴らしいものがありますが、 これも、長い年月の間に、要求される課題を一つ一つ、 解決してきた結果です。 ゼロ戦(零戦)に話を戻しますと、 (ゼロ戦(零戦)に限ったことではありませんが、) 飛行場の滑走路が、すべて舗装されていたわけではなく、 だだ、木を切り草を刈って、整地されただけ、 という飛行場も多くありました。 整地といっても、真っ平ではありません。 そんなところで、離着陸をするのですから、 主脚が受ける衝撃は相当なものです。 特に着陸時にはなおさらです。 初期の頃は、油圧なら油漏れ、空気圧なら空気漏れなど、 ショックアブソーバー(緩衝装置)の故障は多
ゼロ戦(零戦)の操縦席は360度の視界 セロ戦は、機体の上に風防を乗せたようなデザイン。 機体から出た頭の上に、お椀をかぶせるように風防が取り付けられています。 空気抵抗を考えた形状をしているとはいえ、 機体の出っ張りには違いなく、 空気抵抗の見地からすれば、マイナス要因ですが、 この360度の視界は、空中戦の際には、とても役立ちます。 ただ、この視界の良さは、防御、特に後ろからの防御を、 非常に危ういものにしていたのも事実です。 軽量化のために、操縦性の向上のために、 座席の装甲がないだけでなく、 そのフレームにも、穴を空けていたくらいでしたし・・・ ちなみに、ゼロ戦の風防は、いくつかの鉄枠があり、 そこにカラスを、はめ込んでいました。 しかし、同年代のアメリカ機は、 鉄枠のないワンピース構造。 これは、当時では、大変な技術で、 当時の日本には、まだそこまでの技術力はありませんでした。
ゼロ戦(零戦)主脚格納の様子 左右の主脚の格納が同時でなく、片方が少し遅れるところが、 逆にカッコよく見えてしまう・・・ それにしても、隙間なく主翼にピタリと格納させる技術がすごいなぁ
ゼロ戦(零戦)の主脚は格納できないトラブルも・・・ ゼロ戦(零戦)の主脚は離陸後、油圧よって主翼に格納されます。 ゼロ戦(零戦)主脚格納の様子 しかし、当時(特に初期の頃)、この油圧系統にはトラブルも多く、 主脚が格納できないことも、よくあったそうです。 主脚が出たままだと、スピードや戦闘も十分にできませんし、 飛行中に壊れるリスクもあります。 このため、離陸後、主脚が格納できない機体のパイロットは、 そのまま基地に戻されたことも、多々あったそうです。 ところで、パイロットは、どうやって主脚の格納を確認したのか? 一つは、コクピット内のランプで。 左側のスロットルレバーの下に小さなランプがあって、 ランプの色が青なら、脚が出ている状態 ランプの色が赤なら、脚が格納されている状態 格納装置を操作して、赤ランプにならなければ、 主脚は格納されていないことになります。 脚の格納時で赤、脚が出て青
ゼロ戦(零戦)の増槽タンク容量は? 航続距離をさらに伸ばすために、ゼロ戦の機体下に取り付けられる、 ティアドロップ型の増槽燃料タンク。 この増槽燃料タンクも、型式によって容量が違っていました。 11、21型では、330リットル 32、22、52甲、52乙型では、320リットル 素材は、本来、ジュラルミン製でしたが、 52甲型の後期以降になると、木製となりました。 増槽燃料タンクは、落下増槽タンクとも呼ばれ、 戦闘時には切り離すのですが、 時々、落ちないこともあったそうです。 落下の確認のために、操縦席下にはガラスの小窓がありましたが、 パイロットは、増槽タンクを落とすと、 機体が明らかに軽くなることで、わかったそうです。
ゼロ戦(零戦)の燃料タンク容量は? ゼロ戦(零式艦上戦闘機)のサイズが、 型式によって異なるように、 燃料タンク容量も、型式によって違っていました。 11型、21型では、525リットル 32型では、480リットル 32型後期型では、両翼内に10リットルずつ増設して、500リットル 22型では、左右の外翼内にも45リットルずつ増設して、570リットル 52型では、570リットル 52乙型では、ブースト用の水・アルコール60リットル搭載で、500リットル 11、21、22型の主翼(全幅)は、12メートル 32、52型の主翼(全幅)は、11メートル ここからさらに、機体下に増槽タンクをつけて、 航続距離を伸ばすことを考えられていたのですから、 空母から発艦して攻撃することよりも、 基地から遠くの攻撃目標まで飛ぶことを意図していたようです。 海軍からの性能要求も、 高度3000メートル、フルパワー
複座式(2人乗り)のゼロ戦(零戦) もちろん実戦用ではなく、複座の練習機です。 たた、練習機として一から開発されたものではなく、 21型のゼロ戦を改造設計してつくられたものです。 改造設計が始まったのが、昭和17年なので、 最初の名前は、「17試練習用戦闘機」。 1号機の完成は、翌年の昭和18年でした。 武装は、胴体の、7.7ミリ機銃2門のみ。 もちろん、前席、後席のどちらからでも操縦できました。 この21型改の練習機は、複座としたことで、 重量が、1819kgと、実戦機よりも139kg増えましたが、 全備重量は、武装が減った分、76kg減って、2334kg。 最大速度は、高度4000メートルで、 257ノット(時速476km)。 戦闘機として、十分に速いです。 このゼロ戦(零戦)21型改の練習機が正式採用されたのが、 昭和19年3月。 「零式練習用戦闘機11型」と名付けられました。 (練
ゼロ戦(零戦)の水上機 1号水上戦闘機、2号水上戦闘機が、それにあたります。 (1号が試作機、2号が正式採用機(昭和17年7月)) ゼロ戦(零戦)を水上機に改造したもの、 あるいは、ゼロ戦(零戦)の水上機仕様というべきものでしょうか? この開発(改造?・仕様変更)は、 中島飛行機(後の富士重工)によって行われました。 中島飛行機は、ゼロ戦の生産を行っていましたし、 水上機の開発・生産にも経験が深かったからです。 水上戦闘機の開発のきっかけは、 南方作戦を遂行するのに、優れた水上戦闘機が必要になったからです。 南方の島々に飛行場を建設するには、 多くの時間、費用、技術が必要となります。 それならば、海から離着陸できる水上機を開発した方が良い、 という考えでした。 そこで、海軍は、昭和15年に、水上戦闘機の採用を決め、 川西飛行機に、その開発を命じました。 これが、15試水上戦闘機(強風)でし
ゼロ戦(零戦)は機体を前後で分割式 ゼロ戦(零戦)は、主翼とコクピットの前半分と、 その後ろの部分の2つに分割できました。 これは、貨車などの陸上移送の容易さ、 組立も容易になるので生産性もよくなりますし、 現地での整備性もよいなどの、多くのメリットがあります。 飛行機の機体をいくつかのパートに分けてつくり、(社内・社外ふくめて) 最後に組み合わせて完成させるのは、今では普通のことですが、 このはじまりは、日本だったのです。 これを最初に行ったのは、中島飛行機で、 機体は、陸軍の97式戦闘機でした。 しかし。これが広く世界に知られたのは、 中島飛行機の陸軍の97式戦闘機ではなく、 三菱が設計した(中島は生産はしましたが)、 ゼロ戦(零戦)だったのです。
ゼロ戦(零戦)の主翼の長さ・大きさは? ゼロ戦(零戦)の主翼の長さと形は、型式によって異なります。 11型、21型、22型では、 全幅12メートル、面積22.44平方メートル。 32型では、 全幅11メートル、面積21.53平方メートル。 52型以降では、 全幅11メートル、面積21.30平方メートル。 身近な例でいうと、ほぼワンルームマンションの面積です。 さて、この翼の面積ですが、大きいほど運動性能が良くなります。 旋回性が良くなり、離陸、着陸が容易になります。 逆に言えば、空気抵抗が増えますので、 高速域では抵抗となり、スピードが出しにくくなります。 また、攻撃時に大切な急降下性能も不利になります。 ちなみに、飛行機の重さを主翼の面積で割ったものを、 「翼面荷重」といい、(翼1平方メートルで何kg背負っているか) この数字が低いほど運動性能が優れています。 アクロバット飛行や、狭い空
ゼロ戦(零戦)の機体フレームは穴だらけ 穴はもちろん軽量化のため。 これまでの戦闘機(96式艦上戦闘機)よりも、 スピードも旋回力も高くするという相反する要求に応えるためです。 部材の設計段階から、ここの穴はもう少し大きくできないか? ここにもう一つ穴を空けられないか? と、1グラム単位の軽量化への努力が行われたのです。 自動車レースやオートバイレースでも、 穴を空けることは、軽量化(=戦闘力アップ)は常套手段ですが、 同時に、強度の低下(=耐久性・信頼性の低下)のリスクも負います。 だから、常に強度計算も欠かせません。 穴を大きくしたり、穴を追加すると、 また強度計算をし直す必要があります。 コンピューターもCADもない時代、 一つの穴を空ける、1グラム軽くするということは、 大変な作業だったのです。
ゼロ戦(零戦)の重さは? ゼロ戦(零戦)の試作機の、12試艦上戦闘機の、 機体本体の重量は、1652kg ほぼ同じ大きさの陸軍機と比べ20%の軽量化を果たしていました。 燃料や機銃などの武器・弾薬を搭載しても、全装備重量は、2331kg 海軍からの厳しい要求である、 スピードと戦闘能力(旋回能力)の両方を満たすための結果でした。 当時の軍用機の部材の強度規定は、1.8倍。 現在の1.5倍にくらべて、かなりの安全マージンをとっていたのです。 しかし、部材や場所によっては、 そこまでの強度を必要としないものもあります。 そうして、1グラム単位での軽量化が行われました。 その結果、 ゼロ戦(零戦)11型の全備重量は、2339kg 32型では、全備重量2644kg 32型では、主翼が短くなり、 全幅も12メートルから11メートルに狭まったので、 機体は、その分軽くなったはずですが、 エンジンが変わ
ゼロ戦(零戦)の大きさは? ゼロ戦(零戦)の大きさ(サイズ)は、どれも同じではなく、 型式によって違います。 試作機の12試艦上戦闘機は、全幅12メートル・全長8.79メートル 零式艦上戦闘機になっての、 11型、21型は、全幅12メートル・全長9.05メートル 22型では、全幅12メートル・9.06メートル 試作機(プロトタイプモデル)よりも、若干長くなっています。 32型になると、全幅11メートル・全長9.06メートル 52型以降は、全幅11メートル・全長9.121メートル 幅が、1メートル短くなったのは、 艦載機として、空母に搭載しやすくするためでしょうか? (単純に考えれば主翼が短くなるので性能は?という疑問もでますが・・・) 全高は、どの型式も、 前輪を出しての水平状態で、3.509メートル 前輪と尾翼と着地させた駐機状態で、3.593メートル 駐機状態では、0.84メートル(8
ゼロ戦(零戦)試作機(12試艦上戦闘機)の 完成・初飛行はいつ? ゼロ戦(零戦)試作機の、12試艦上戦闘機は、 昭和14年3月16日に、その1号機が完成しました。 (実物大模型は、昭和13年4月) (場所は、名古屋航空機製作所) 2日後の、3月18日に、地上での運転が行われ、 エンジン、プロペラ、計器類のチェックがなされました。 昭和14年4月1日、岐阜県の各務原で、地上滑走試験の後、 高度10メートルで、約500メートルの初飛行となりました。 この時のパイロットは、 三菱のテストパイロットの志摩勝三操縦士。 12試艦上戦闘機は、三菱と中島飛行機の競争試作でしたが、 中島飛行機が脱落したために、途中から三菱の単独試作になったためでした。
ゼロ戦の卓上扇風機 零戦艦上戦闘機五二型 零扇 USB式 卓上扇風機 零戦艦上戦闘機五二型 零扇 USB式 卓上扇風機 この画像は、ゼロ戦(零戦)の模型モードだけど、 プロペラを大型のものに換装すると、扇風機モードになる 模型としての完成度も高いし、この遊び心がいいな(^.^) 零戦艦上戦闘機五二型 零扇 USB式 卓上扇風機 ゼロ戦(零戦)を知る
ゼロ戦(零戦)の試作機(12試艦上戦闘機)の 性能要求は・・・ 当時、海軍機は、性能計画に基づいて、複数の会社に競争をさせて、 優れた結果を出した会社のものを正式化していました。 皇紀2596年(昭和11年)に正式採用された、96式艦上戦闘機の次期モデルとして、 より高性能な艦上戦闘機の計画をしていました。 そして、昭和12年、12試艦上戦闘機(後のゼロ戦(零戦))という名の試作機が、 三菱と中島飛行機(後の富士重工)の2社で、競争試作となったのです。 そのときの、海軍からの計画要求書の内容は、 1、最大速度は、高度4000メートルで、270ノット(時速500km)以上 2、上昇力は、高度3000メートルまで、3分以内 3、航続力は、正規状態全力で、1.2時間(1時間12分)以上 過過重時(増設燃料タンク装備)で、1.5時間(1時間30分)以上 500カイリ進出して30分の空戦が可能なこと
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