「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」 これは漫画家・岡崎京子が2004年に出版した物語集のタイトルだ。交通事故による大けがでキャリアを事実上絶たれた彼女のこの言葉が、ここ最近、頭の中をぐるぐる回っている。 もちろん私は、東京五輪の問題とのからみで、この話をしている。五輪開催の是非をめぐり、私たちは多くのことを次々と忘れてきた──あるいは、忘れるように仕向けられてきた。 その陰にあったのはメディアの怠慢だ。 東京五輪の開幕予定日まで1カ月。五輪をめぐる問題は、もう数えきれないほどにある。 その大きなもののひとつは、開催の是非をめぐる議論について、メディアが本来の役割を果たさなかったことだ。この先、東京五輪の行く末がどうなろうと、私たちはメディアについてその点をしっかり忘れずにいるべきだ。 なぜか改変された世論調査の設問 東京五輪をめぐる問題は、開幕予定日が迫るにつれて、議論のポイントがす
私のニュースの仕入れ先は基本インターネットなのですが、新聞にも目を通しますし、テレビ、ラジオのニュースも聴きます。ただし、テレビの場合は基本NHKのニュースにしています(あと経済ニュースはWBS。これは他で触れないニュースを流すので)。これは別にNHKが好きだから、というのではありません。家で高い受信料払っているのだから、元を取るつもり、というのでもありません(いや、ちょっとはあるかな)。その理由は、「BGMがほとんど使われていないから」。 NHKのニュースは、殆どの場合オープニングとエンディング、もしくは切り替わりの時にちょっと音楽が使われるくらいで、基本的には効果音を切り替えの時の短い音楽を除けば無音の状態で、アナウンサーがニュース原稿を述べる感じです。それとは逆に、民放の場合、ニュースの多くでBGM多く使われています。多くのものではニュース後のビデオ再生シーンなどでBGMが流されます
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