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思想に関するfujiyama3のブックマーク (3)

  • 「歴史にifはない」とはどういう意味か(歴史における「偶然」と「未練」)[絵文録ことのは]2009/01/19

    エドワード・ハレット・カーは1892年ロンドン生まれのイギリスの外交官、歴史学者、政治学者である。特にロシア革命の研究で有名な人物で、1948年には国連「世界人権宣言」起草委員長を務めた。 この『歴史とは何か』は1961年、ケンブリッジ大学における歴史学に関する連続講演をまとめたものだ。1回ごとの講演内容が1章としてまとめられている。岩波新書版の目次を引用すれば、以下のとおりである。 歴史家と事実 社会と個人 歴史と科学と道徳 歴史における因果関係 進歩としての歴史 広がる地平線 このについては「歴史とはどういう学問なのか」ということを考える人にとっての必読書ともなっているようで、ネット上でも読書記録がいくつか見つかる。 北海道大学経済学部高井ゼミ(西洋経済史)小論文ワークショップでのまとめ 元木桃子さんのまとめ 渋田麻衣子さんのまとめ カー「歴史とは何か」(塩川伸明『"20世紀史"を考

    fujiyama3
    fujiyama3 2009/01/20
    これはよい。
  • ベタがベタでなくなったとき - kom’s log

    紆余曲折して結局いまや再び「科学者の職業は真理の追究である」って言ってもいいんじゃないか、とわたしは思っている。「真理の追究」なんてこというと「まさか」という時代もありました。「科学者の職業は真理の追究である」って言うのってホントつらいというか恥ずかしいというか、アホですかバカですか、と穴に入りたくなるような気分になるけれど。 近代の文脈が見失われたらそもそも議論ってのは成り立たない。「まさか」は退行して「証拠見せろ」になるわけである。こうした状況はもう、あきれるほどあちらこちらで顕在化している。結局「真理の追究」、ベタがベタではなくなったので、普通に主張すべき内容になってしまったのである。研究の結果、かくかくしかじかなる結果でございました、と述べたときに「証拠見せろ」といわれてさんざん説明して「長すぎる、三行でわかるように」とかいわれたら、「大学で勉強しなおしてください」とでもしかいえな

    ベタがベタでなくなったとき - kom’s log
  • 「ネタならいいがベタはダメだ」という者に聞かせたい言葉 - umeten's blog

    希望は、戦争blog 〜「丸山眞男」をひっぱたきたい Returns〜 - [lelele]仲正昌樹さんからのコメント http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20071004/1191470579 >自分と異なる意見を持つ人間のイデオロギー的背景を勘ぐって、「あいつは○○主義者だから、あいつの一見まともらしい主張の裏には……」式の“ラディカルな批判”は、何も生み出しません。 解説委員室ブログ:NHKブログ | 視点・論点 | 視点・論点 「シリーズ戦後 『若者のナショナリズム』」 http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/4319.html >信じているふりをするということは、気に信じている他者の存在を前提にすることであり、その意味では、その信じている他者の世界の中に身を置くことなのです。 >気で信じている他者を前提にして行動

    「ネタならいいがベタはダメだ」という者に聞かせたい言葉 - umeten's blog
    fujiyama3
    fujiyama3 2007/10/05
    『人間という存在が政治性から切り離して存在し得ない』「俺は中立」なんていうやつは大抵うさんくさい。
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