ご訪問いただいたお客様へのお知らせ アクセスいただいたWebサービスは提供を終了いたしました。 長年にわたり、多くの皆様にご利用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。 ODNトップページへ
ご訪問いただいたお客様へのお知らせ アクセスいただいたWebサービスは提供を終了いたしました。 長年にわたり、多くの皆様にご利用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。 ODNトップページへ
仕事がはかどらないので、ブログ書きに逃避しようと思って、「歴史教科書問題」について記事を書こうとしたんだけど、調べるために記事読んだりしているだけでウンザリしてきた。 産経新聞は、沖縄の支局長が県民大会の会場には行ったみたいだが、記事も出していないなぁと思っていたら、いちゃもん記事の取材をしていたんだね。ブログのコメント欄は盛り上がっていた。 産経新聞那覇支局長のブログはココ。 「新しい歴史教科書をつくる会」は10月4日付けで文科省に申し入れ等を行なったみたい。 内容詳細はアホくさいのでここで言及しませんが、ひとつだけ。 申し入れ書の別紙で、《沖縄県警の調査では4万2千人とされています。(中略)会場となっ たスペースの実測から、実数はもっと少ないとの指摘もあります》とあるんだけど、上に紹介した産経新聞那覇支局長のブログのコメント欄では10月2日付けでそんな話が飛び交っている。おもしろいね。
2007年10月05日 最初に「集団自決」を教科書に書かせたのは文部省(当時) テーマ:戦争反対(1189) カテゴリ:歴史 この件について、不確かなものを教科書に書いたのがいけない、最初に記載した事の是非が争点にならないのが間違っているといったことをふれ回る人がいます。 まあ、言うのは自由なんですけど。 でも、それは何で「集団自決」が教科書に載ることになったのかという経緯を知らないということを自ら暴露しているようなものですね。 そもそも教科書に集団自決が書かれるようになったのは、教科書の執筆者が自らのイデオロギーに依拠して書き込んだからでも何でもない。文部省(当時)がそれを書くように仕向けたからなんですよね。 発端は1982年の教科書検定で、沖縄戦における日本軍による「住民殺害」を削除させたこと。 その時もやはり強い抗議運動があり、改訂検定という形でその記述は復活させられた。 そしてその
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く