タグ

寺田寅彦に関するfunaki_naotoのブックマーク (12)

  • 科学的精神と愛国/天災と国防(寺田寅彦) - 見もの・読みもの日記

    ○寺田寅彦『天災と国防』(講談社学術文庫) 講談社 2011.6 引き続き、明治人の著作を読む。「天災」と「国防」は、どちらも2014年現在の日にとって、大きな課題である。「天災」は、2011年の東日大震災と福島原発事故が解明も解決もしておらず、日に日に混迷を深めているように見えるし、「国防」については、解釈改憲による自衛隊のあり方の変更が(実現してほしくないが)焦眉の急として迫っている。 書は、寺田寅彦(1878-1935)の著作から、災害に関するものを集めて再構成している。冒頭の一編が「天災と国防」と題した昭和9年(1934)11月発表のエッセイ。昭和9年といえば、前年に日軍(関東軍)の熱河省侵攻、国際連盟からの脱退があり、「非常時」が合言葉になった年だ。その同じ年に、函館の大火(1934年3月)や室戸台風(同9月)などの激甚災害が日の国土を襲っていたことは、あまり認識になか

    科学的精神と愛国/天災と国防(寺田寅彦) - 見もの・読みもの日記
  • 科学と哲学と俳諧/柿の種(寺田寅彦) - 見もの・読みもの日記

    ○寺田寅彦『柿の種』(岩波文庫) 岩波書店 1996.4 ルミネ新宿のブックファーストで「当店が選ぶ岩波書店のこの一冊」というオビをつけて書架に並んでいるのを見た。物理学者の寺田寅彦が随筆の名手だったことは、知識としては知っていたが、これまで読んだことはない。書は、自序によれば、松根東洋城の主宰する「渋柿」という「ほとんど同人雑誌のような俳句雑誌」の巻頭に、折々短い即興的漫筆を載せてきたものの集成だという。確かに、ページをめくってみると、長いものでも2ページに満たない、短いものは3行ほどの短章が、ぽつぽつと並んでいる。随筆好きの私の胸にひびくものがあって、買ってみた。 章末に発表年月が添えられているものとそうでないものがあり、早いものは大正9年、遅いものは昭和10年10月に至る。著者、寺田寅彦(1878-1935)は、昭和10年(1935)12月31日没だから、最晩年まで書き継がれていた

    科学と哲学と俳諧/柿の種(寺田寅彦) - 見もの・読みもの日記
  • 寺田寅彦 電車の混雑について

    満員電車のつり皮にすがって、押され突かれ、もまれ、踏まれるのは、多少でも亀裂(ひび)の入った肉体と、そのために薄弱になっている神経との所有者にとっては、ほとんど堪え難い苛責(かしゃく)である。その影響は単にその場限りでなくて、下車した後の数時間後までも継続する。それで近年難儀な慢性の病気にかかって以来、私は満員電車には乗らない事に、すいた電車にばかり乗る事に決めて、それを実行している。 必ずすいた電車に乗るために採るべき方法はきわめて平凡で簡単である。それはすいた電車の来るまで、気長く待つという方法である。 電車の最も混雑する時間は線路と方向によってだいたい一定しているようである。このような特別な時間だと、いくら待ってもなかなかすいた電車はなさそうに思われるが、そういう時刻でも、気長く待っているうちには、まれに一台ぐらいはかなりに楽なのが回って来るのである。これは不思議なようであるが、実は

  • 寺田寅彦 小爆発二件

    昭和十年八月四日の朝、信州(しんしゅう)軽井沢(かるいざわ)千(せん)が滝(たき)グリーンホテルの三階の堂で朝って、それからあの見晴らしのいい露台に出てゆっくり休息するつもりで煙草(たばこ)に点火したとたんに、なんだかけたたましい爆音が聞こえた。「ドカン、ドカドカ、ドカーン」といったような不規則なリズムを刻んだ爆音がわずか二三秒間に完了して、そのあとに「ゴー」とちょうど雷鳴の反響のような余韻が二三秒ぐらい続き次第に減衰しながら南の山すそのほうに消えて行った。大砲の音やガス容器の爆発の音などとは全くちがった種類の音で、しいて似よった音をさがせば、「はっぱ」すなわちダイナマイトで岩山を破砕する音がそれである。「ドカーン」というかな文字で現わされるような爆音の中に、もっと鋭い、どぎつい、「ガー」とか「ギャー」とかいったような、たとえばシャヴェルで敷居の面を引っかくようなそういう感じの音が

  • 寺田寅彦 流言蜚語

    長い管の中へ、水素と酸素とを適当な割合に混合したものを入れておく、そうしてその管の一端に近いところで、小さな電気の火花を瓦斯(ガス)の中で飛ばせる、するとその火花のところで始まった燃焼が、次へ次へと伝播(でんぱ)して行く、伝播の速度が急激に増加し、遂にいわゆる爆発の波となって、驚くべき速度で進行して行く。これはよく知られた事である。 ところが水素の混合の割合があまり少な過ぎるか、あるいは多過ぎると、たとえ火花を飛ばせても燃焼が起らない。尤も火花のすぐそばでは、火花のために化学作用が起るが、そういう作用が、四方へ伝播しないで、そこ限りですんでしまう。 流言蜚語(ひご)の伝播の状況には、前記の燃焼の伝播の状況と、形式の上から見て幾分か類似した点がある。 最初の火花に相当する流言の「源」がなければ、流言蜚語は成立しない事は勿論であるが、もしもそれを次へ次へと受け次ぎ取り次ぐべき媒質が存在しなけれ

  • 寺田寅彦 津浪と人間

    昭和八年三月三日の早朝に、東北日の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙(な)ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰返されたのである。 同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。 こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人

  • 天災は忘れたころに - 黌門客

    阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)が起きたとき、わたしは中学一年生だった。地震直前の、地鳴りのような恐ろしい音で目が覚めた。直接的な被害は、幸いなことに殆どなかったが、震度6の地震を体験したのはもちろん初めてのことだったし、その後はしばらくガスなどのライフラインが断たれて苦労した。 阪急伊丹駅は、自宅からさほど離れたところにあるわけではないが、二階・三階部分が完全に崩壊した。テレビでその状況を見て絶句した。知人のなかには家が全壊したり半壊したりした人もあったし、顔見知りではなかったが亡くなった上級生もいた。 とりあえずは無事でいることのありがたさを、このときほど痛感したことはない。 今回の東北地方太平洋沖地震では、地震の規模(M9.0)はさることながら、大津波が引き起こされ、そのことによって多数の犠牲者や行方不明者が出ている。福島原発の事故も心配だ。 千葉の親戚は無事というが、未だに避難を

    天災は忘れたころに - 黌門客
  • 今週の本棚・この人この3冊:寺田寅彦=末延芳晴・選 - 毎日jp(毎日新聞)

  • 山中俊治の「デザインの骨格」 » 寺田寅彦「漫画と科学」

    物理学者でありエッセイストでもあった寺田寅彦は、1921年に「漫画と科学」というタイトルでこんな文章を残しています。 漫画によって表現された人間の形態並びに精神的の特徴は、一方において特異なものであると同時に他方ではその特徴を共有する一つの集団の普遍性を抽象してその集団の「型」を設定する事になる。こういう対象の取扱い方は実に科学者がその科学的対象を取扱うのと著しく類似したものである。 ・・・(中略)・・・ 漫画が実物に似ていないにかかわらず真の表現であるという事は、科学上の真というものに対する多数の人々の誤解をとくために適切な例であるように見える。漫画が実物と似ない点において正に実物自身よりも実物に似るというパラドクシカルな言明はそのままに科学上の知識に適用する事が出来る。(初出:大正十年三月『電気と文芸』) 人体のエッセンスを単純な描線に抽出する漫画と、自然現象の質をシンプルな法則とし

  • 寺田寅彦バイオリンを弾く物理学者 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    知の巨人の怪物的構想 寺田寅彦は近代日を代表する地球物理学者。地震学や気象学を大胆に切り開いた。もちろん夏目漱石門下の随筆家としても有名だ。「天災は忘れた頃にやってくる」という格言は、寅彦の日頃の思想を、弟子の中谷宇吉郎が語呂よく整えたものと言われている。 そんな寅彦は大の音楽好きでもあった。熊での旧制高校時代にはバイオリンを独習した。大学に入るとピアノやオルガンもいじった。留学したヨーロッパで生演奏に浴びるほど接した。壮年になってから「雀(すずめ)の学校」の作曲家、弘田龍太郎にバイオリンを学び、ついにはベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」を弾きこなしたという。蓄音機で交響曲をかけては、指揮の真似(まね)もしていた。 はて、科学者の趣味がたまたま音楽だったのか。書の答えは否。寅彦の生涯のモチーフは「波動の共振・共鳴現象によって分裂を埋め合わせ、世界と結合・合体化しようとする」とこ

  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

  • http://blog.picsy.org/archives/000303.html

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2005/09/09
    「科学の目的は実に化け物を捜し出す事なのである。この世界がいかに多くの化け物によって満たされているか」
  • 1