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ブックマーク / mag.japaaan.com (56)

  • これ江戸時代の絵画です!”スナイパー観音”など江戸時代のオモシロ絵巻「戯画図巻」を読み解く書籍が発売 : Japaaan

    まず、こちらの絵画をご覧ください。 狩野昌運筆『異代同戯図巻』(福岡市美術館蔵)部分 火縄銃をかまえる観音菩薩。まるで現代アーティストが昔の絵巻をモチーフに描いたようなユニークな作風ですが、じつはこの作品は江戸時代前期に描かれたものなのです。 今回紹介するのは、狩野派の絵師によって描かれた絵巻を読み解く『「戯画図巻」の世界 競う神仏、遊ぶ賢人』という書籍です。 「スナイパー観音」としてSNSで話題になった、火縄銃をかまえる観音菩薩が描かれているのは、狩野派の絵師たちの手で描かれた、江戸時代前期の絵巻「戯画図巻」のひとつ、狩野昌運筆『異代同戯図巻』(福岡市美術館蔵)です。 『異代同戯図巻』(福岡市美術館蔵)の場面の例 火縄銃をかまえる観音菩薩と、火縄の準備をする龍女。 この他にも殺生を禁じた釈迦は水辺で漁にいそしみ、怪力無双の弁慶は小さな一寸法師に追い回され、威厳ある雷神は足をカニに挟まれて

    これ江戸時代の絵画です!”スナイパー観音”など江戸時代のオモシロ絵巻「戯画図巻」を読み解く書籍が発売 : Japaaan
  • 資料数は450点超!江戸時代の艶本・春画を無料で高画質閲覧できる「艶本資料データベース」が素晴らしい : Japaaan

    先日、江戸時代の銭湯は混浴が一般的だったことについて紹介しましたが、公衆の場で異性に裸を晒すことができたことを考えると、江戸時代は今よりも異性の裸に対してはおおらかな文化であったはずです。[i… そんな春画や艶をネット上で誰でも気軽に検索できるサービス「艶資料データベース」を紹介します。 「艶資料データベース」は、国際日文化研究センター(日文研)が収集している艶、春画の資料を電子化し公開しているもので、資料数は450点を超え、質・量ともに国内外トップレベルのコレクションとなっています。

    資料数は450点超!江戸時代の艶本・春画を無料で高画質閲覧できる「艶本資料データベース」が素晴らしい : Japaaan
  • 日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【完結編】 : Japaaan

    紺の地に「井桁の中に“三”の紋」が染め抜かれています。三越なのに、三井?それについてはこのような理由があります。 1673(延宝元)年に三井高利が創業した越後屋。屋号は高利の祖父の時代まで「越後守」を名乗る武士であったことから「越後屋」とし、人々からは「越後さんの店」と呼ばれていました。その後三井家の姓を取った「三井呉服店」となり、1904年、「三」と「越」を取って「三越呉服店」となり、現在の「三越」に至ります。 『三越のあゆみ』より引用(https://www.imhds.co.jp/ja/business/history/history_mitsukoshi.html) ちなみに上掲のポスターは三越呉服店懸賞ポスター第1等受賞作のポスターです。少し古くなりますが明治44年のものです。 この時代は「大正デモクラシー」という言葉に象徴されるように、人々は“藩閥政治”を否定し、国民の意思を反

    日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【完結編】 : Japaaan
  • 日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【中編】 : Japaaan

    もう春ですね、皆さんも新しい春の服が欲しいと思い始める時期ではないでしょうか。日人はもともと長い間“和服”を着て生活してきました。しかし今は“洋服”を着るのが普通であり、着物などの“和服”を… 鹿鳴館時代の収束による和服の復活 “鹿鳴館時代”と呼ばれた1883年(明治16年)より始まった鹿鳴館を中心にした外交政策は、“鹿鳴館外交”と呼ばれました。 1887(明治20年)年頃に4年間ほどで鹿鳴館時代も収束を迎えると、“洋装化”の熱も冷め男女ともに江戸時代のような和服が復活しました。

    日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【中編】 : Japaaan
  • 日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【前編】 : Japaaan

    もう春ですね、皆さんも新しい春の服が欲しいと思い始める時期ではないでしょうか。 日人はもともと長い間“和服”を着て生活してきました。しかし今は“洋服”を着るのが普通であり、着物などの“和服”を着るのは特別な時でしょう。 日人の着るものが、和服から洋服へと変遷していく黎明期を『引札見帖』を参考にご紹介します。 引札見帖とは

    日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【前編】 : Japaaan
  • 時代劇でお馴染み”ちょんまげ”。なぜこのような変わった髪形文化が日本に定着してたのでしょうか? : Japaaan

    毎月決まって購入するファッション雑誌はありますか?最近はネットやアプリでファッションスナップを見ながら、流行をチェックしている人も多くなっていると思いますが、江戸時代にもおしゃれに気を使う人はもちろん… なぜこのような変わった髪形文化が日に定着したのでしょうか?そこにはちゃんとした理由がありました。今回は、何故昔の日人はちょうんまげをしていたのか、その理由と起源に迫っていきたいと思います。 ちょんまげに関してはこちらの記事もぜひご覧ください

    時代劇でお馴染み”ちょんまげ”。なぜこのような変わった髪形文化が日本に定着してたのでしょうか? : Japaaan
  • 起源は飛鳥時代まで遡る、日本男児の歴史を支えた「ちょんまげ文化」のはじまりから終わりまで : Japaaan

    時代劇や歴史が絡む映画などでよく見かける「ちょんまげ」、一体いつから存在するのか気になりませんか? そこで今回は、意外と知られていない「ちょんまげ」のはじまり、そしてどのような歴史を歩んで終わりを迎えたのかについて、時系列でみていきましょう。 ちょんまげとは ちょんまげとは、江戸時代に男性の間で流行った髪型のことです。具体的には、頭前部から頭頂部までの髪を剃って、残った髪を結い、前にねかせた状態の髪型のことをいいます。 残った髪を結った部分「髷(まげ)」の姿が「ゝ(ちょん)」の文字に似ていたことから「ちょんまげ」と呼ばれるようになりました。 ちょんまげの起源 ちょんまげと聞くと江戸時代を想像する人も多いかもしれませんが、実は江戸時代に登場した髪型ではありません。 ちょんまげの原型となる髪型は飛鳥時代まで遡り、その頃から人気がありました。ただし、その頃のちょんまげは、帽子のムレを予防するため

    起源は飛鳥時代まで遡る、日本男児の歴史を支えた「ちょんまげ文化」のはじまりから終わりまで : Japaaan
  • 尊王攘夷運動が激しくなった幕末、粛清の対象となった「安政の大獄」の被害者たち【後編】 : Japaaan

    尊王攘夷運動が激しくなり、新しい時代のためその身を捨てて志を貫いた幕末の志士たち。その中でも先駆けとして尊王攘夷を引っ張り、「安政の大獄(あんせいのたいごく)」で粛清された志士たちがいました。… 吉田松陰 吉田松陰は、幕末に活躍した多くの志士たちに多大な影響を与えた天才でした。私塾である松下村塾(しょうかそんじゅく)で久坂玄瑞(くさかげんずい)、高杉晋作(たかすぎしんさく)、伊藤博文(いとうひろぶみ)他多くの志士たちを指導しています。桂小五郎(かつらこごろう)も、門下生ではないものの教えを受けた一人です。 吉田松陰は、脱藩や藩籍剥奪なども意に返さないほど、自らの志を曲げない性格の持ち主で、獄につながれることもいとわないほどの強硬な尊王攘夷論者でした。幕府が締結した日米修好通商条約に怒りを覚え、老中首座・間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を計画しましたが未遂に終わりました。 安政の大獄では、梅

    尊王攘夷運動が激しくなった幕末、粛清の対象となった「安政の大獄」の被害者たち【後編】 : Japaaan
  • 尊王攘夷運動が激しくなった幕末、粛清の対象となった「安政の大獄」の被害者たち【前編】 : Japaaan

    尊王攘夷運動が激しくなり、新しい時代のためその身を捨てて志を貫いた幕末の志士たち。 その中でも先駆けとして尊王攘夷を引っ張り、「安政の大獄(あんせいのたいごく)」で粛清された志士たちがいました。 今回は、安政の大獄の被害者となった志士たちを紹介します。 安政の大獄とは 安政の大獄とは、大老・井伊直弼(いいなおすけ)のやることに反対した者たちの弾圧・粛清を目的とした政策のことです。 幕府が朝廷の許可を得ずに日米修好通商条約に調印したことや、将軍後継ぎを一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)ではなく徳川家茂(とくがわいえもち)にしたことなど、井伊直弼が中心となり行ったことに反対するものたちが続出。井伊直弼のやり方に反対する者たちを弾圧していった政策こそが安政の大獄です。 弾圧の対象となったのは、尊王攘夷論者や一橋派の者たちでした。特に、尊王攘夷の先駆けとなった梅田雲浜(うめだうんぴん)や橋左内(はし

    尊王攘夷運動が激しくなった幕末、粛清の対象となった「安政の大獄」の被害者たち【前編】 : Japaaan
  • 平安時代には既に原型が。ドラマ「わろてんか」で注目、漫才の歴史 [中世~近世編] : Japaaan

    NHKの朝の連続テレビ小説『わろてんか』は、吉興業の創設者の一人・吉せいをモチーフとして、女性興行師の人生を描いています。ドラマでは「しゃべくり漫才」の誕生と発展が描かれ、漫才の先祖である「万歳(まんざい)」も登場しました。ドラマ自体はフィクションですが、2つの「まんざい」の違いや歴史に興味を持たれた方も多いのではないでしょうか。 実はとっても深い、漫才の歴史をご紹介します。 公家、武士、民衆…あらゆる階層に愛された祝福の芸 「漫才」の表記が生まれた年はほぼ確定しています。昭和8年に吉興業が名付け、翌9年に新橋演舞場で開催された「特選漫才大会」から広く使われるようになりました。 そして、それ以前に「万歳」と表記される芸能がありました。時に「万才」「萬歳」とも表記されますが、いずれも歴史を遡ると中世から存在した「千秋万歳」にたどり着きます。平安中期には京都で演じられていたとされる千秋万

    平安時代には既に原型が。ドラマ「わろてんか」で注目、漫才の歴史 [中世~近世編] : Japaaan
  • どんなアレンジで着る?あの塚田農場×Leeコラボ浴衣「デニムミニゆかた」が今年も販売開始 : Japaaan

    居酒屋「塚田農場」の制服がデニムブランドLee とのコラボで話題になった「デニムミニゆかた&デニムサムエ」がなんと一般販売をスタートしましたよ![caption id="attachment_… 今回もデニムブランドのLeeとコラボレーション。浴衣の概念にとらわれない「デニム地のミニ浴衣」の可愛らしさがますます増量しています。前モデルよりも帯が幅広になって、カジュアルながらも和服に寄せられている印象です。 デニムミニゆかたのフルセットでは、帯の色も黃・赤・青から選べます。デニム地だからブーツやバングル、スタッズとも相性良し。自由な着こなしが楽しめます。 ニュースタイルの登場を記念して、「デニムミニゆかた」を着たモデルたちが、東京都内の有名ストリートを「キャットウォーク」に見立てて歩いたデモンストレーションムービーも公開中。 花火大会だけでなく、夏のあらゆるシーンに馴染むアイテム。活動的な夏

    どんなアレンジで着る?あの塚田農場×Leeコラボ浴衣「デニムミニゆかた」が今年も販売開始 : Japaaan
  • 120超のデザイン!中古本で数万円する明治時代の着物の柄見本帳「八千草」が無料でオンライン公開 | ファッション 着物・和服 - Japaaan #着物

    様々なアート作品がアーカイブされているスミソニアン・ライブラリーでとっても嬉しいデータが無料ダウンロードできることを知りました!アートやデザイン、ファッションに携わる方は絶対にダウンロードし手元に置い…

    120超のデザイン!中古本で数万円する明治時代の着物の柄見本帳「八千草」が無料でオンライン公開 | ファッション 着物・和服 - Japaaan #着物
  • この自販機知ってる?昭和懐かし、あのレトロなハンバーガー自販機がプラモデルになったよ! : Japaaan

    これまたスゴいとこ攻めてきたな! プラモデルメーカーの「ハセガワ」が、あの懐かし”レトロ自販機”をなんとプラモデル化しちゃいました。プラモデル「レトロ自販機(ハンバーガー)」発売。 商品は、ハセガワの1/12スケール フィギュア アクセサリー シリーズの最新キットとなるもので、昔のドライブインなどでよく見たハンバーガー自販機のプラモデルです。

    この自販機知ってる?昭和懐かし、あのレトロなハンバーガー自販機がプラモデルになったよ! : Japaaan
  • これぞデザイナー北斎!葛飾北斎が作ったオリジナル文様の古文書「新形小紋帳」を全ページ紹介! : Japaaan

    世界的にも人気の高い江戸時代の絵師「葛飾北斎(かつしかほくさい)」。名作「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が新千円札の裏面のデザインにも採用され、あらためて注目されています。 北斎は浮世絵作品のほかにも、「北斎漫画(ほくさいまんが)」をはじめとする絵手集やスケッチ集なども積極的に手掛けていました。 今回はそんな北斎の作品を紹介するわけですが、記事で紹介するのは、北斎のデザイナーとしての一面を伺うことができる作品集。文政8(1825)年に刊行された「新形小紋帳(しんがたこもんちょう)」という文様集です。 「新形小紋帳」は北斎がオリジナルで考えた文様が紹介されている文様集で、主に着物のパターンを考える際に活用されていました。単なるデザイン集ではなく、描かれた文様をどのように描くのか解説していたりもして、北斎先生の技術がつまった手習い書とも言えるでしょう。

    これぞデザイナー北斎!葛飾北斎が作ったオリジナル文様の古文書「新形小紋帳」を全ページ紹介! : Japaaan
  • 身長なんと2.2m超!金棒を武器に鬼の如き活躍をみせた伝説の戦国武将・三浦義意の武勇 : Japaaan

    規格外な身長だった 義意は明応5年(1496)に生まれます。父の三浦道寸(みうら-どうすん)は北条早雲と対立中だったため、義意は家督を譲られた15歳の頃になると1人の武将として戦場に赴くことになります。 ここで驚きなのが、義意は身長です。戦国時代の平均身長は154センチですが、義意は2メートル27センチもありました。 当時からしてみれば義意のような大柄な武将がたたずんでいたら、味方は心強いと思い、敵は恐怖におののいたことでしょう。 また、永正10年(1510)から永正13年(1513)の3年間にわたって早雲と雌雄を決した新井城の戦いでは、鉄の厚さが6センチの鎧を着て戦ったと言われています。 しかし、来の鎧の厚さは3センチで、上記の厚さだと重すぎるので創作だったのではないかと考えられています。義意の体格だと厚さ6センチの鎧も難なく着て戦ったと思ってしまいそうですね。 2ページ目 武器には棍

    身長なんと2.2m超!金棒を武器に鬼の如き活躍をみせた伝説の戦国武将・三浦義意の武勇 : Japaaan
  • 無料ダウンロード&商用利用OK!江戸時代の武家装束をわかりやすく図説した「武家装束着用之図」 : Japaaan

    先日、江戸時代の武家装束に関する情報をまとめた古文書「服色図解」を紹介しましたが、今回紹介するのは、絵巻物「武家装束着用之図」です。 「武家装束着用之図」の内容は、「服色図解」と同じく、当時の装束の決まりごとをまとめたものなのですが、装束を身にまとった人物の全身を描き、そこに注釈を加えたかたちになっていて、ビジュアル的にとても見やすいものとなっています。 「武家装束着用之図」を制作したのは伊勢貞丈(いせさだたけ)という江戸時代中期の幕臣。有職故実に精通しており、「武家装束着用之図」のような資料を数多く残しています。 「武家装束着用之図」では、各種行事や儀式で着用する服装を、彩色された状態で細かく紹介。江戸時代の研究に使える資料として、現在でも様々な研究資料に画像出典されることが少なくないようです。 2ページ目 「武家装束着用之図」は無料ダウンロード&商用利用も可能

    無料ダウンロード&商用利用OK!江戸時代の武家装束をわかりやすく図説した「武家装束着用之図」 : Japaaan
  • 異界から現実へ…妖怪とヒトの境界に着目した展覧会「妖怪/ヒト ファンタジーからリアルへ 」開催 : Japaaan

    妖怪の怖さだけではなく、日清・日露戦争などが始まった激動の時代を記録する戦争錦絵を展示しながら”ヒトの怖さ”にもフォーカスする点は、これまでの妖怪がテーマの展覧会にはあまりなかった事かもしれません。 怪談作家・木原浩勝さんが所蔵する、妖怪「件(くだん)」のミイラも特別出品されるそうなので、こちらも注目です。 企画展「妖怪/ヒト ファンタジーからリアルへ」は、2019 年 7 月 6 日(土)~9 月 23 日(月・祝)の期間、川崎市市民ミュージアムで開催されます。 会期 2019 年 7 月 6 日(土)~9 月 23 日(月・祝) 休 館 日 毎週月曜日(ただし 7 月 15 日、8 月 12 日、9 月 16 日、9 月 23 日は開館)、7 月 16 日(火)、8 月 13 日(火)、9 月 17 日(火) 開館時間 9:30~17:00(入場は閉館の 30 分前まで)※夏休み期間の

    異界から現実へ…妖怪とヒトの境界に着目した展覧会「妖怪/ヒト ファンタジーからリアルへ 」開催 : Japaaan
  • これはアツいぞ!総計170人の戦国武将の馬印をただひたすらに紹介した江戸時代の巻物「御馬印」 : Japaaan

    紹介されている馬印は徳川家康、織田信長、豊臣秀吉などすごい顔ぶれ。なお旗の形をしたものを「旗印」と言い、旗印も合わせて紹介されています。 それにしても武将それぞれに個性のあるバラエティ豊かな馬印ですね。カブらないようにするためにかなり苦労したんですかね? 彩色は手彩色によって金銀色が使われており、朱、藍、白などは型紙や版木によって彩色したものとされています。歴史資料として価値があるほか、当時の彩色技術を知るうえでも貴重な資料と言えるでしょう。 各巻の最初には目録が記されていますので、照らし合わせながら馬印を見ていくと良いでしょう。戦国ファンにはたまらない資料かと思います。 戦国武将の馬印をただひたすらに集めた「御馬印」は、国立国会図書館デジタルコレクションで無料公開されています。

    これはアツいぞ!総計170人の戦国武将の馬印をただひたすらに紹介した江戸時代の巻物「御馬印」 : Japaaan
  • 永久保存確定!日本初の日本史事典「国史大辞典」の絵図ページが感動レベルで凄い | 歴史・文化 - Japaaan #日本史

    で最初の格的な日史事典は、吉川弘文館から明治41年(1908年)に刊行された「国史大辞典(こくしだいじてん)」という事典で、日初ということもあり刊行当時はとても画期的なものだったそうです。 国史大辞典は文が数千ページにも及ぶ明治時代の大辞典ということもあって、現代の私達が内容を把握するには、それなりの知識と覚悟がないと挫折してしまうレベル。 しかし、この事典の増訂版には絵図での解説ページもあるので、この部分に関しては知識がなくてもかなり楽しめて、参考になる内容になっています。国立国会図書館デジタルコレクションには国史大辞典の初版や増訂版がオンライン公開されているのですが、モノクロでの公開にとどまっているのです。 絵図のページはやはりカラーで楽しみたいもの。どこかに国史大辞典がカラーでオンライン公開されていないか、我々スタッフが一生懸命捜しました。カラーの国史大辞典、見つかりまし

    永久保存確定!日本初の日本史事典「国史大辞典」の絵図ページが感動レベルで凄い | 歴史・文化 - Japaaan #日本史
  • センスの塊か!違いが微妙すぎる明朝体の”第3さんずい”に着目したアート作品が秀逸 : Japaaan

    みなさんのパソコンに日フォントってどれくらい入ってますか?デザインに携わっている人であれば膨大な量のフォントが入っている人もいるでしょう。初期状態のパソコンでもかなりの数入ってますよね。 でも、それぞれのフォントの違いってわかりますか?ゴシック体と明朝体の違いはわかったとしても、明朝体同士の違いがどの部分に現れているのか分かる人はかなり少ないでしょう。 その書体の微妙な違いを理解しようとするあまりに、明朝体各々の特徴をプロダクトとして発表してしまったクリエイター、よねやまさんの作品を紹介します。 ヒラギノ明朝の”第3さんずい”の「ヒラギノ銃」 これは!フォントマニア感涙www 明朝体の部首のさんずい、しかも”第3さんずい”だけに着目するセンス…鳥肌もんです!ちなみに”第3さんずい”は、さんずいの「チョン・チョン・サッ」の、最後の”サッ”の部分。 卒業制作で作成した一つ。「ヒラギノ銃」。

    センスの塊か!違いが微妙すぎる明朝体の”第3さんずい”に着目したアート作品が秀逸 : Japaaan