2009年4月17日(金) 「おいらを独りにしないよな。おいら、悪いことをしちまったんだ」 〜第25回:二十日鼠と人間 「いいんだ、もうどうでもいい」 降旗 学 【プロフィール】 ジョン・マルコヴィッチ ロバート・バーンズ スタインベック 1/7ページ ハツカネズミと人間の このうえもなき企ても やがて後には狂いゆき あとに残るは ただ単に 悲しみ そして苦しみで 約束のよろこび 消え果てぬ―― これは、スコットランドの詩人ロバート・バーンズの詩「ハツカネズミに」の第七節だ。 この詩に触発されて、当初考えていた小説のタイトルを変更したのがジョン・スタインベックである。彼が新しくつけたタイトルは『OF MICE AND MEN』というもの。邦題では『二十日鼠と人間』と訳される。初版が刊行されたのは1937年のことだ。 スタインベックと言えば『怒りの葡萄』や『エデンの東』を挙
2009年1月16日 「自分の何を差し出せば愛する者を救えるのか」 〜第16回:リバー・ランズ・スルー・イット 「差し出しても拒まれるかもしれない。抱きしめようとしても、思いは腕のあいだをすり抜けてしまうかも……」 降旗 学 リバー・ランズ・スルー・イット 親族 老い 〆切厳守 1/12ページ 2007年に起きた殺人事件1052件のうち、被害者が“親族”だったケースがそのうちの503件を占める――、という記事を読んだのは、ちょうど1年前のいまごろだった。 パーセンテージに直すと47.8%である。 親族とは、民法上の六親等内の血族および配偶者と、三親等内の姻族を指す。 と、私が常用している広辞苑の第3版にはある。したがって、私から見ればおじ・おば、従兄弟・従姉妹の配偶者、甥・姪までを指す。すると、業界用語で言うところの“コロシ”のほぼ2件に1件がこの範囲内での犯行だったという
「あの音は一生忘れない。地雷を踏んだときの音です」 〜第15回:BEYOND BORDERS〜すべては愛のために〜 「カチッて。その音を聞いたらもうお終いです。でも、頭では必死に考える」 2009年1月9日 金曜日 降旗 学 アンジーは美人か――? アンジェリーナ・ジョリーのことである。私はずっとそんなことを考えている。 多くの人が美人だと答えるに違いない。たぶんそうだと思う。 あるアングルからの彼女はとても魅惑的で美しいのだが、別の角度から見ると美人と呼べるほどじゃないなぁと思える彼女もいて、私はとても好きなのだ。どこか万華鏡のようなところのある女優なのである。 演技についても同じことは言えて、さすがオスカー俳優ジョン・ボイトの血を引くだけあって引き込まれるような演技が多く見られる一方で、こういう表情しかできないのだろうかと思うようなベタな演技もする。どこか万華鏡のようなところのある女
「勝利へ導くのは額の汗とあらんかぎりの力」 〜第14回:パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド 「みんな。旗を掲げるのよ、海賊の旗を」 2008年12月26日 金曜日 降旗 学 ポートロイヤルの広場には、町の民が一列に並ばされている。 最後尾はおそらく石垣の外にまで続いているのだろう。列はとても長い。 そこは、かつてジャック・スパロウの絞首刑が執行される予定だった広場である。いまそこに並ぶ人たちは、いずれも鉄の手枷をはめられ、脚を鎖でつながれていた。彼らはポートロイヤルの町の民――、しかし、いまは刑の執行を待つ“死刑囚”として並ばされているのだ。 「憂うべく治安の悪化に歯止めをかけ、民の利益を守るため、英国王の名代たるベケット卿は、この地域一帯に対し非常事態宣言を発令する。よって、戒厳令の定めに従い、暫定的に以下を制定する」 カトラー・ベケット卿の側近が“触れ”を読み上げる。東イ
「嘘つきはいつも嘘をつく。信用できないのは正直者だ」 第13回:パイレーツ・オブ・カリビアン 「正直者はときどきとんでもないばかを――」 2008年12月25日 木曜日 降旗 学 私の記憶に間違いがなければ、ハリウッドではほとんど毎年のように興業収益や観客動員数の歴代記録を塗り替える新作が登場している。らしい。 実際のところは私にもわからない。この映画をこれだけの人が観た――、と大々的な宣伝を打って1人でも多く劇場に足を運ばせようとする配給会社の魂胆はわかるが、しかし、ひとつ言えることがあるとすれば、CG技術の飛躍的な成長を背景に、ハリウッド映画はいかにもハリウッド映画らしい“進化”を続けているということだ。 ほんの数年前だったら想像もできなかった、あり得ないような映像を彼らはつくり続けている。それが、次から次へと制作される映画が興行成績を塗り替える理由なのかもしれない。 おそらく、彼らは
「お前も分け前をもらうか?」 第12回:スティング 「いいや、やめとくよ。どうせまた負けるだけだし」 2008年12月19日 金曜日 降旗 学 子供時代、その人には自分の部屋がなかったという。 だから、大学の受験勉強も居間でしていた。いわゆる“茶の間”だ。 家族が休む頃、彼はコタツに参考書や問題集を広げて受験勉強を始める。そこに父親が帰宅する。お父さまは映画がお好きだったらしく、仕事帰りによくレンタルビデオ屋に寄っていたとのことだ。これは面白いから一緒に観よう。そう言ってビデオを再生する。 彼は、始めたばかりの勉強の手を止めてテレビ画面に見入る。 映画はクライマックスにさしかかる。と、気づくと、お父さまは軽い寝息を立てている。 何だよもう、とか言いながら、彼は布団をかけてやったりしたのだろう。でも、いいではないか。お父さまは疲れているのだから。家族のために働いてくれているのだから。 私
「一生、誰とももう踊らないつもり?」 第11回:オールウェイズ 「悪いけど……、この続きはまたにしましょう。許して」 2008年12月12日 金曜日 降旗 学 愛する人を失う。それはとても大切な人だ。 ときには恋の終わり。ときには袂を分かつかのような友情の終わり。そして死が二人を永遠に引き離すこともある。じゃあまた、と手を振り合って別れたまま、二度とその笑顔に会えなくなるようなことだってないわけじゃない。人生は風に舞う木の葉のように、ときとしていたずらな運命に弄ばれる。 だが、人はときに愚かで、大切な人を失って初めてその痛みを知るのだ。その人がどれほどかけがえのない相手であったのか、大切な人であればあるほど心の痛手は大きく、悲しみも深い。そして、愚かだから自分を責めて後悔もする。もっと優しくしてあげていればよかったとか、もっと素直になっていればよかったとか――。 これは、そんな思いに浸らせ
「ねぇ、妬いてるの?」 〜第10回:ワンダとダイヤと優しい奴ら 「嫉妬は弱い男のすることだ。だが…」 2008年12月5日 金曜日 降旗 学 やぁみんな、元気かい。俺だ、オットーだ。 あん、知らんだと? おいおい、忘れてもらっちゃ困るぜ。ワンダとファイアと優しいジョージア……、じゃなくて、「ワンダとダイヤと優しい奴ら」って映画でケビン・クラインが演じた役どころじゃねぇか。信じられないほどの低予算であっという間に制作して、2億ドルもの興業収益をあげた記録的な映画だぜ。しかも、アカデミー賞の候補にもノミネートされた。日本でも大ヒットしたはずなんだけどなぁ。 なに、知らん? 覚えてない? まだ小学校にもあがってなかった? 頼むぜ、まったく。けど、いまの若い子たちが知らないってのもしょうがないわな。何しろ1988年の映画だ。正直言って、俺たちだってあんなにヒットするとは思ってもいなかった。最初はニ
「すまん、言い過ぎたかもしれない。でも言ったことは全部事実だ」 〜第9回:ギャルソン! 「事実か……、だったらよけいきついな」 2008年11月28日 金曜日 降旗 学 かつては、プロのタップダンサーだった。 一度は引退。だが、あきらめきれずに復帰し、ミュージックホールを経営しながら舞台も踏んだ。彼のステップは華麗だった。しかし、経営のほうはうまくなかった。ホールをたたんでホテル業に乗り出したが、こちらは撤退するまでに1年を要しなかった。ホテルの施設と規模が大きすぎたからだ。 彼には莫大な負債額が残った。愛する妻も彼のもとを去った。ずいぶんとむかしの話だ。 そしていま、彼は残りの借金を返済しながらブラッスリーの“給仕長”を務めている。彼の名前はアレックス。1983年制作のフランス映画「ギャルソン!」で我らがイヴ・モンタン演じる役どころだ。 映画の撮影時、モンタンは62歳。赤いちゃんちゃんこ
「お前さんはばかじゃないさ、ばかじゃないが、人でなしだな」 〜第8回:芙蓉鎮 「私の夫を返して、返してよ」 2008年11月21日 金曜日 降旗 学 この中国映画を観るには、できるなら“文化大革命”もしくは“プロレタリア文化大革命”という中華人民共和国の“歴史的躓き”を知っておいたほうがいい、と思う。 1966年に始まり1977年に終焉した文化大革命は、ものの本によれば、プロレタリア階級の新しい文化、思想の創造を目指して展開された革命運動――、とあるが、実態は階級闘争という名の“奪権闘争”でしかなかった。 当時、権力の中枢にいた劉少奇・国家主席や鄧小平・共産党総書記らを毛沢東を中心とする一派が打倒し、権力の座から引きずり降ろした争いに過ぎないからだ。毛沢東思想の浸透と徹底のために多くの人民から自由を奪った“政治運動”が文化大革命なのである。 “文革”と称されたそれを、ある人は近代中国の暗闇
瀬戸内海の景勝地、鞆(とも)の浦(広島県福山市)で、宮崎駿監督のアニメ映画「崖の上のポニョ」の舞台をめぐり、市と市民団体の間で“論争”が起きている。 「ポニョ」の舞台めぐり論争 瀬戸内の景勝地、鞆の浦で産経新聞、2008.9.23 この「崖の上のポニョ」は公開初日(7月19日)、広島県福山市にある某映画館で見た。知人に誘われて瀬戸田町を訪ね、鞆の浦に立ち寄った、その帰りのことである。 鞆の浦に行ったのは、もちろん、この日、「ポニョ」の公開がされると知っていたから。 さぞ福山市は「ポニョ」フィーバーで盛り上がっているんだろうな、と半ば期待し、半ば不安に思いながら福山駅へ着いた。 でも、福山市中心部でも鞆の浦でも「ポニョ」という言葉はほとんど見ることがなかった。わずかにトモテツバスの車内に映画の200円割引券が吊されていたのと、ともてつバスセンター内の観光情報センターに手作りの観光マップみたい
3年前からブログやラジオや雑誌で何度も紹介したり、各映画会社に「配給してよ」とDVDを押し付けたりして回ってきたアカデミー長編ドキュメンタリー部門受賞作『売春窟に生まれついて』ですが、 やっと、やっと、『未来を写した子どもたち』の邦題で11月から日本公開されることになりました。 http://www.mirai-kodomo.net こういう映画がなかなか公開されなくて、ケータイ小説映画とかアキモトコー映画とか手塚治虫や黒澤明の墓泥棒みたいな百害あって一利なし映画ばかりが劇場を支配している日本の映画界現状ってなー。 もうひとつ。 『未来を写した子どもたち』とは直接、何も関係ないけどさ、ムカつくから言わせてくれ。 この映画はアカデミー賞まで獲ってるし、アメリカではDVDまで出てるのに、配給会社が決まるまで、日本の映画評論家は誰一人として話題にしなかった。 文芸評論家だったら、普通、芥川賞受賞
映画ファンならずとも、昨年の*1の「日本アカデミー大賞」の選考に唖然となった記憶が残っている人は多いだろう。それ以外の多くの賞レースで賞を総なめにしていた「それでもボクはやってない」をほとんど無視し、主催の日テレが出資した「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」がほとんどを独占するという理解しがたい結果*2だった。 もちろん、「東京タワー」も松尾スズキの脚本を読んだ関係者からの前評判は高かったし、オダギリジョー、樹木希林ら役者陣は好演していたものの、「それでもボクはやってない」を押しぬけて賞をほぼ独占するのはとても納得のいく選考*3とはいえなかった。 その授賞式の微妙な空気はテレビ中継を見た人ならよく覚えているのではないか。 松尾スズキの場違いな場所にいるという居心地の悪さ丸出しの表情、奇抜な衣装でやってきて苦笑いしかできないオダギリジョー……。 そしてそれに拍車をかけたのが樹木希林だ
〓先週の火曜日に、ひさびさに NHK BS2 で、アルフレッド・ヒッチコック Alfred Hitchcock の 『北北西に進路を取れ』 (1959) の放送がありました。前回、BS2で放送したのが 2002年11月で、当時、ビデオで録画しましたねえ…… 〓なんともいいなあ、と思うんですよ。今のミステリーは現実の社会を反映した殺伐としたものが多いですが、アッシが子どものころに読んでいた “推理小説” は、もっと、“思考遊技” みたいな面が大きかった。 〓最近、クロフツあたりの未読の作品を数十年ぶりに読んでいますが、パズルのような謎解きの魅力を思い出して、嚙みしめているところです。ヒッチコックにも、その味があります。 〓ところで、みなさん、何とも思わずに 「北北西」 という方位を聞き流しています。それでいいのか? 英語の原題は、 “North by Northwest” です。これは
This webpage was generated by the domain owner using Sedo Domain Parking. Disclaimer: Sedo maintains no relationship with third party advertisers. Reference to any specific service or trade mark is not controlled by Sedo nor does it constitute or imply its association, endorsement or recommendation.
映画化された前作は40億のヒットとなったが、この続編は非常に厳しい出来だ。 原作は大人気の矢沢あいのマンガで、監督は前作と同じく『avec mon mariアベックモン マリ』などの大谷健太郎。脚本は前作の浅野妙子ではなく大谷監督が手がけている。製作委員会の構成は、TBSを幹事に前作とほぼ同じ。 キャストは、ナナ役の中島美嘉は同じだが、ハチ(奈々)役は宮崎あおいから市川由衣に。他にも、シンやレンなど主要キャストが大幅に変更されている。物語は、前作が5巻の途中までだったが、今作はそれからハチがタクミの子を身ごもり結婚を決心する10巻の途中くらいまでが描かれている。 原作に忠実な流れなので、ハチの内面をどの程度しっかり描けるかで映画の善し悪しは決まったはずなのだが、結局ハチがただのヤリマンバカ女にしか見えない脚本になっていた。これは明らかに脚本の失敗だ。構成も非常に退屈なもので、内面描写のタイ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く