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historyに関するfutoshi0417のブックマーク (189)

  • 日本の原子力開発が抱える病理

    多くが政府主導で進められてきた日の原子力技術開発。その途上には、半均質炉や原子力船「むつ」、最近では高速増殖炉「もんじゅ」など多くの失敗例が横たわる。なぜ、それらのプロジェクトはうまくいかなかったのか。原子力技術の開発に詳しい桜井氏が、プロジェクトの遂行という観点から日の原子力技術開発の問題点を検証する。 Contents 物理学者・技術評論家。1946年群馬県生まれ。1976年に東京理科大学理学研究科物理学専攻課程を修了し、同年から旧日原子力研究所(現日原子力研究開発機構)で材料試験炉(JMTR)の炉心安全解析に従事。1984年から旧原子力工学試験センター・原子力安全解析所(現エネルギー総合工学研究所)で原子力発電所安全審査のためのクロスチェック安全解析に携わる。1988年に原子力工学試験センターを退職技術評論家となる。原子力発電の安全に関わる技術評論を中心に著書多数。

    日本の原子力開発が抱える病理
  • 第13回 UWB とは何だったのか(3)

    前回、前々回にわたってUWB技術に掛けられた過大な期待、IEEE 802.15.3a標準をめぐる企業エゴの衝突、Wireless USBへの集中とその挫折という物語を取り上げてきました。今回はちょっと「上から目線」になることを承知で、一体UWBの何が悪かったのか、どうすればよかったかについて語ってみます。 IEEE 802.15.3a 標準化委員会の問題 UWBの失敗を検討するうえで真っ先に俎上にのせられるのは、時間と労力の空費に終わったIEEE 802.15.3aの標準化の失敗でしょう。その背後には米Freescale社(DS-UWB、 UWB Forum) と 米Intel社 (MB-OFDM、MBOA/WiMedia) という2大企業のデファクト・スタンダード争いがあったことは前回紹介した通りです。これを企業エゴと批判するのは容易なことですが、商業的技術は企業の利潤追求活動がなければ

    第13回 UWB とは何だったのか(3)
  • 第12回 UWBとは何だったのか?(2)

    米国FCCが2002年2月14日に発表した法改正を受け、「革新的な新通信技術UWB」「数百M~数Gビット/秒の高速通信」「壁を超えて通信できる?」「雑音を利用して通信」「もはや周波数割り当てという常識は過去ものに」など、誤解や拡大解釈を含んだニュースが華々しく報道されることになりました。半導体業界ではこの新技術を実用化すべく次々に新企業が名乗りを上げ、標準化に向けての動きが始まることになります。今回はこの標準化と製品化にまつわる騒動と、その終焉について語ってみたいと思います。 インパルス・ラジオの(早すぎる)終焉 前回「UWB≒インパルス・ラジオ」、すなわち鋭いピークを持つパルス波形を用い、周波数(F-Domain)ではなく時間軸(T-Domain)を用いて情報伝達する方式として解説しました。実際、早期に開発に向けて名乗りを上げたUWBチップ・メーカーは「Time Domain」「Stac

    第12回 UWBとは何だったのか?(2)
  • 第11回 UWBとは何だったのか?(1)

    かつて「UWB(Ultra Wide Band、超広帯域無線通信)」というキーワードがエレクトロニクス業界を騒がせたことを覚えておられるでしょうか。壁を通して通信できるとか、有線接続より速い通信ができるとか、雑音を使って通信するとか、もはや周波数の規制を受けないのだとかの非常識な、しかし当だとすると革命的な噂が飛び交い、そして何やら規格制定に関するイザコザが報じられ、やっと規格が固まった!待ちに待った「Certified」UWB製品が出るよ!というニュースの後、なぜか話を聞かなくなりました。 UWBとは一体何だったのか?一体なぜあんな夢のような噂が流れ、なぜ規格制定でゴタゴタし、なぜ製品が出たと思った頃に消えて行ったのか?今回は幻に終わった夢の無線通信方式、UWBについて数回にわけてお送りしたいと思います。 「壁を通して1Gビット/秒で通信できるって?!」 私がUWBに関して最初に聞いた

    第11回 UWBとは何だったのか?(1)
  • 「遷御の儀で承ったこと」漫画家・井上雄彦

    「第六十二回神宮式年遷宮 皇大神宮遷御の儀」に漫画家の井上雄彦氏が奉拝した。井上氏は「式年遷宮」にあわせて長尺の墨絵「承」を伊勢神宮へ奉納。その墨絵は、10月19日から内宮・参集殿で特別公開される。20年に一度の遷宮祭の場で体得したことを、井上氏が自らつづる。(ケンプラッツ) 10月2日伊勢神宮内宮にて。 午後4時すぎに受付を済ませ、荷物を預け、ネクタイを締め(遅い)、自分の席へと歩く。 玉砂利を踏む音がどこかそわそわしているのは普段履かない革だからか。 僕は3000人の奉拝(ほうはい)者のひとりで、運良く一番前の席に座らせてもらえた。 目の前に廊下のように屋根ができている。雨天時のための備えであろう。 20年のお役目を終える正殿から、真新しい新殿へとお移りいただく、この御道敷がそのための通り道になる。 午後5時半、ここからは席を立つことは許されない。トイレも行かないようにとのお達しがあ

    「遷御の儀で承ったこと」漫画家・井上雄彦
  • 第27回 実はボツ写真だった史上もっとも有名な「アフガンの少女」

    創刊125周年記念特別号の2013年10月号。表紙に「アフガンの少女」が使われたのはこれで3度目です。2度目の表紙は次のページでどうぞ。(写真クリックで拡大) 「ナショナル ジオグラフィックの写真家たちが追い求めるのは、そうした「歴史的瞬間」ではない。読者の心に最も深く刻まれた1枚は、歴史上の大人物の写真でも、大事件の写真でもない。それは1984年、写真家のスティーブ・マッカリーがパキスタンの難民キャンプで出会ったアフガニスタンの少女の写真だった」(『ナショナル ジオグラフィック日版』2013年10月号特集「写真の力」より) 「アフガニスタンの少女」とは、この創刊125周年を記念する特別な号の表紙にもなっているアフガン難民の12歳の女の子です。ソ連軍の爆撃で両親を失い、祖国を追われ、どこか怯えているようにも見えながら、でも、何かを強く訴えかけるとても印象深い緑色の目をしています。 198

    第27回 実はボツ写真だった史上もっとも有名な「アフガンの少女」
  • 今、Cで開発するためのスタンダードを知るための本 - L'eclat des jours(2013-09-30)

    _ 今、Cで開発するためのスタンダードを知るための 例によってアスキーの鈴木さんから、をもらった。花井さんのモダンC言語プログラミングだ。なお、似たような題の洋書があって、しかも花井さんは翻訳もするので、そのの翻訳書と勘違いされる可能性もありそうだが、完全にオリジナルだ。 Cは、Unixと共に(というか少し遅れて)生まれたということは、すでに40年以上の歴史があり、それだけの年月がたてば、COBOLなどと同じく老害言語と言われてもこれっぽっちもおかしくはない。 ところが、COBOLと異なり開発者市場がどんどん先細り(あるいは固定化)されるということはなく、むしろ増えている。それどころか最近の調査では最も利用されている(TIOBE 2013)。 一方、C++が先鞭をつけたビジネスプログラミングへのオブジェクト指向プログラミングの適用は、Java、Objective-C、C#と種類を増や

  • 日本の「水月湖」が世界の歴史のものさしに!:日経ビジネスオンライン

    山根 一眞 ノンフィクション作家 ノンフィクション作家として先端科学技術分野の熱い人間像を描き続ける一方、3.11被災地支援活動も人生の大きな柱です。 この著者の記事を見る

    日本の「水月湖」が世界の歴史のものさしに!:日経ビジネスオンライン
  • NIKKEI STYLEは次のステージに

    キャリア、転職、人材育成のヒントを提供してきた「リスキリング」チャンネルは新生「NIKKEIリスキリング」としてスタート。 ビジネスパーソンのためのファッション情報を集めた「Men’s Fashion」チャンネルは「THE NIKKEI MAGAZINE」デジタル版に進化しました。 その他のチャンネルはお休みし、公開コンテンツのほとんどは「日経電子版」ならびに課題解決型サイト「日経BizGate」で引き続きご覧いただけます。

    NIKKEI STYLEは次のステージに
  • 2001年9月11日、ワールドトレードセンタービルの102分間 - A Successful Failure

    2001年9月11日、ワールドトレードセンタービルが崩壊した映像はテレビで繰り返し放送され、人々の記憶に深く刻まれている。この史上最悪のテロによりニューヨークでは2,749人が亡くなっている。 ビルが崩壊するシーンの強烈なインパクトのせいもあって、我々は飛行機の衝突後まもなくビルが崩壊し、中にいた人の大半が犠牲になったと考えがちだが、実際には最初の飛行機が衝突してから崩壊するまで102分間にわたる猶予があり、最初の衝突時にビル内にいた1万4,000人以上の人の多くが自力で、あるいは、献身的な他の人の助けを借りて建物の崩壊以前に避難を終えることができた。 『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』は200回以上に上る生存者やその家族・知人へのインタビュー、警察や消防の更新記録、電話の会話の記録等に基づいて、あのとき、あの建物の中で何が起きていたのかを明らかにし

    futoshi0417
    futoshi0417 2013/09/11
    何かあったときにどう生き延びるか、どう助けるか
  • 東京にも領土問題 千葉・埼玉との境界が未確定 - 日本経済新聞

    東京都の地図を眺めていたら、隣県との境界線が切れている場所があった。国土地理院に聞いてみると、境界が決まっていない場所だという。実は東京都は千葉県、埼玉県との間で、境界を巡る「紛争地」を抱えている。なぜ境界が定まらないのか。東京都の「領土問題」を追った。東京湾の境界線 東京都は真南、千葉県は南西を主張東京都江戸川区にある葛西臨海公園。野鳥が集い、水族館や観覧車がある公園は、都民のオアシスだ。

    東京にも領土問題 千葉・埼玉との境界が未確定 - 日本経済新聞
    futoshi0417
    futoshi0417 2013/09/09
    管理上の問題だったりするのだろうけど、川を改修したりした経緯とか含めて面白いなー
  • 8月6日、広島で平和を祈る

    広島・長崎に「原爆」が投下されたことは小学生時代に学び、恐ろしいという意識しかなかった。中学に入学してクラス担任の教師(若林徳子先生)に出会い、「広島」が自分の中で大きくなった。彼女は広島で原爆が落とされた時に窓ガラスで咽喉の部分を切り、その手術跡が大きく残っていた。最初の授業で広島体験を聞いて大きな衝撃を受けたことを今でも覚えている。

    8月6日、広島で平和を祈る
  • 原爆に遭った少女の話 - Game&cG

  • 赤プリ解体工事進む 色あせぬ旧館 - MSN産経フォト

    旧グランドプリンスホテル赤坂の解体工事が進み、歴史的価値から保存の決定している旧館(旧李王家東京邸)だけが取り残されている =26日午後、社チャーターヘリから 大山文兄撮影 赤プリの名称で親しまれた旧グランドプリンスホテル赤坂(東京都千代田区)の地下施設解体工事が進んでいる。保存の決まっている旧館も、工事による一時移設のため工具で浮き上がった。 施工主の西武プロパティーズによると、旧館は朝鮮王朝・李王家の邸宅として建設。李王家は日の皇族をに迎えてここで生活した。 旧館の活用方法はまだ決まっておらず、歴史ある建物と新しい施設との融合を目指した活用方法を検討しているという。

    futoshi0417
    futoshi0417 2013/09/04
    土台部分や旧館、こんな風になってたんだ
  • 吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった 知事が捨てた街 - 日本経済新聞

    大学時代、友人に「東京を出て多摩川を越えたら神奈川県」と教えられたことがある。西日出身者としては素直に信じていたのだが、実際に当てはまるのは一部だけ。中流域では「多摩川を越えても東京都」だ。しかしかつては違った。八王子や町田、多摩川の手前にある調布や成城、吉祥寺も神奈川県だった。なぜ東京になったのか。事情を探っていくと、長年の課題である水源問題と、複雑な政治事情が浮かび上がってきた。多摩が東京になって120年

    吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった 知事が捨てた街 - 日本経済新聞
    futoshi0417
    futoshi0417 2013/08/30
    多摩ったまhistory
  • 原爆の歴史を語り継ぐ - Google 歴史アーカイブ本日公開

    メディア関係者向けお問い合わせ先 メールでのお問い合わせ: pr-jp@google.com メディア関係者以外からのお問い合わせにはお答えいたしかねます。 その他すべてのお問い合わせにつきましては、ヘルプセンターをご覧ください。

    原爆の歴史を語り継ぐ - Google 歴史アーカイブ本日公開
  • MSXは楽器だ! ヤマハの野望・全国版&後半は怒涛の展開へ!!:MSX30周年 - 文●MSXアソシエーション 編集●加藤兄 - 週刊アスキー

    ■YMOと同じ音源を家庭でも(10万円くらいで) ヤマハといえば何を思い浮かべますか? バイク? 楽器? いやいやMSXユーザーたるもの「ヤマハはLSI開発メーカーだ」とか言って周囲をドン引きさせなきゃですよ。今回はヤマハのMSXへの取り組みを通してMSX発展の歴史の秘密に迫ります。さて、言うまでもなくヤマハはMSX体も販売しておりました。なかでも中軸になるYISシリーズはMSXの初期の頃より独特の存在感を放っていました。その大きな理由はサイドスロットと呼ばれる、普通のMSXカートリッジよりもちょっと大き目のカートリッジを挿して機能拡張することができることにあります。 ↑写真左:代表的な機種である『YIS604/128』はその名の通り大容量RAM128KBのMSX2。これにFDDを拡張しアプリソフトをカートリッジスロットに挿している。見えないけど左側面にFMシンセサイザーユニット『SFG

    MSXは楽器だ! ヤマハの野望・全国版&後半は怒涛の展開へ!!:MSX30周年 - 文●MSXアソシエーション 編集●加藤兄 - 週刊アスキー
  • いまはもう耳にしない、過去のテクノロジーの「音」たち

  • NASA設立55周年--写真で振り返る数々の挑戦

    1958年7月29日、Dwight Eisenhower大統領の署名によって米国家航空宇宙法が成立し、米航空宇宙局(NASA)が正式に設立された。それから55年がたち、NASAは人間でいえばついにお得な高齢者割引の対象になった頃かもしれないが、非常に生産的な55年間を送ってきた今も、そのペースが遅くなる兆しはない。 ただしNASAの最初の大きな成果が、その正式な設立の数カ月前にケープカナベラル基地から打ち上げられた米国初の人工衛星「Explorer 1」であることは間違いない。Explorer 1はジェット推進研究所によって設計され、同研究所はNASA設立の数カ月後にその一部となっている。 提供: NASA/JPL

    NASA設立55周年--写真で振り返る数々の挑戦
  • 英ジャーナリスト 「東京大空襲なんて 来日後 初めて知りました」:日経ビジネスオンライン

    クリストファー・ロイド氏(Christopher Lloyd) 1968年英国生まれ。英ケンブリッジ大学で中世史を学んで91年に学位を取得、その後サンデータイムス紙の記者となる。新聞では科学と工学を担当し、94年には「今年の科学ジャーナリスト」として表彰される。96年、英タイムズ紙、サンデータイムス紙などの発行元であるニューズ・インターナショナルのマネジメントに転じ、同年サンデータイムス紙の初のウェブ版を立ち上げた。その後ベンチャーのインターネットメディアビジネスなどに携わった後2000年、オックスフォードにある教育ソフトウエア出版社に経営者として転職、売上をほぼゼロから300万ポンドにまで成長させる。2006年に退社、と自宅で教育していた2人の子供と共に欧州中を旅しながら『What on earth happened?』の執筆を思いつき、2008年に発売。2010年、出版社What o

    英ジャーナリスト 「東京大空襲なんて 来日後 初めて知りました」:日経ビジネスオンライン
    futoshi0417
    futoshi0417 2013/08/06
    子どもを育てる中で調べて、ちょうどうまくまとまった本がないことに気がつき、ご自身で出版にいたるとは・・・!