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2009年11月22日のブックマーク (6件)

  • asahi.com:(下)歌の力に導かれて-マイタウン埼玉

  • asahi.com:(中)思い 生徒に響いた-マイタウン埼玉

  • asahi.com:(上)学校を変える 歌で-マイタウン埼玉

    武甲山を望み木々に囲まれた秩父市の秩父第一小学校。今月25日に卒業式がある。小柄な女性が2月中旬、音楽の特別講師として招かれた。近くの県立秩父養護学校教諭の高橋(旧姓・坂)浩美さん(47)。18年前、ある歌を作曲した人物だ。 ◇◇◇ 「みんなの歌はすごくうまいんだけど、何かが足りないなあ。先生は『ありがとう』っていう気持ちが足りない気がするな」 卒業式の歌の練習を聞いた高橋さんはこう話しかけた。ゆっくりと、この歌が誕生したきっかけを語り始めた。 「この歌は、中学校の校長先生と私が、3年間がんばった卒業生のために作ったんだよ」 ざわざわしていた教室も高橋さんの話とともに静かになった。 「先生や友達、お父さんお母さんのことを思い浮かべながら、ありがとうって思いながら歌って欲しいな」 45分の授業の最後、高橋さんの指揮で、児童は再び歌った。歌い終わったとき、音楽室の端でビデオカメ

  • 旅立ちの日に - Wikipedia

    『旅立ちの日に』(たびだちのひに)は、1991年に埼玉県の秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲である[1]。作詞は当時の校長であった小嶋登、作曲は音楽教諭の坂浩美(現・高橋浩美)による。編曲は、松井孝夫[注 1]他、複数の作曲家によるものがあり、原曲および混声三部版・混声四部版は変ロ長調、同声二部版は変ロ長調またはハ長調、同声三部・女声三部版はハ長調である。2000年代以降、卒業ソングの定番として認知されている。[2] 概要[編集] 歌の誕生まで[編集] 埼玉県 秩父市立影森中学校の校長だった小嶋登は当時、荒れていた中学校を矯正するため「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やした。最初こそ生徒は抵抗したが、音楽科教諭の坂浩美と共に粘り強く努力を続けた結果、歌う楽しさによって中学校の雰囲気は明るくなった。 「歌声の響く学校」を目指して3年目の1991年2月下旬、音

    旅立ちの日に - Wikipedia
  • 「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という言葉の意味。 - Something Orange

    先日の「物語夜話ラジオ」がおもしろかったので、インスパイアされて記事を書いてみる。 テーマは「あきらめたらそこで試合終了ですよ」。近頃、この言葉の意味をつくづく実感するようになった。そうなのだ。あきらめたらそれまでなのだ。 以前、ぼくは、この言葉を一種の根性論として理解していた。勝負が見えていてもとにかくあきらめずさいごまで全力を尽くせ、という意味だ、と。 しかし、最近ではもうすこし違う意味に解釈している。ひとは、じっさいには可能なことでも、不可能だと思い込んでしまうことがある。そしてそう認識したとたん、当に不可能になるのだ、ということ。 たとえば、ぼくもそうだけれど、「自分は絵を描けない」というひとがいる。が、目が見えて、手が動かせるなら、物理的な意味では、描けないはずはないんだよね。 ようするにそれは「描けないと思い込んでいる」だけなのだ。もちろん、技術的な巧拙はある。そのままではへ

    「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という言葉の意味。 - Something Orange
  • 慶応2年から平成27年までのベストセラーをリストにしてみた 読書猿Classic: between / beyond readers

    我々の時間についての遠近感は、時としてとんでもなく歪むが、それに気付く機会があまりない。 だから、何か一つの事項について年表をつくると、背筋が伸びるかのように、縮んでいた時間感覚を修正できる。 自分の経験だと、自分が生まれる前の、近現代あたりが、かなりアバウトにいっしょくたにされていることが多い。サルトルの『嘔吐』がベストセラーになるのはもっとずっと後のように思っていたが、実際は1946年である。 これは周りに質問してみるといい。世代によっては「70年代あたり」に「サルトルがブームだった」となってたりするので、自分と違う世代の人と質問し合うとおもしろい。 ベストセラーの悪口をいうにしても、ファクトを整理しといた方がいいと思って作った私物くさいリストであるが、いろいろツッコミどころや「発見」のしどころがあると思うので公開してみる。 現在に近づくほど、これまた私見だが、ベストセラーとして並ぶ

    慶応2年から平成27年までのベストセラーをリストにしてみた 読書猿Classic: between / beyond readers