奈良県橿原市東池尻町で、日本書紀や万葉集に収められた大津皇子(おおつのみこ)の辞世の歌に登場しながら、所在地が不明だった「磐余池(いわれいけ)」の一部とみられる6世紀の人工池の堤跡が見つかり、橿原市教委が15日、発表した。堤の上では大型建物跡も確認。日本書紀には、磐余池のほとりに聖徳太子の父、用明(ようめい)天皇(在位585~587年)が池辺双槻宮(いけのへのなみつきのみや)を営んだとの記述があることから、宮の関連施設だった可能性もある。 堤跡は、粘土で盛り土された高さ約2メートル、長さ約80メートル分が見つかった。現在の地形から、堤全体の規模は高さ3メートル以上、全長330メートルと推定される。緩やかに湾曲する台形状の構造で、戒外(かいげ)川をせき止めるために地形の低い部分に堤を築いたとみられ、池の推定面積は約8・7ヘクタールに及ぶ。 周辺は現在、水田だが、手のひらのような独特の形で、地