同一性のない所が増田の良い所なんだけど 連続性のある人間として認識されたくなった これまでのエントリを一つのアカウントに集約していくことを試みていく ひとまず、過去のエントリをtwitterで引用し、エントリの方にはアカウント名を追記していくことにする これでとりあえずの本人認証はできるようになった とりあえず、何か下種なことを書き連ねようと思う @Gesu_Masuda
・水族館や動物園で、説明文を読んで得たばかりの知識を、同行者になぜか少し得意げに披露している人の声を聞きながら、動物や魚を見ている瞬間 ・いいパン屋でいい惣菜パンを買って、包み紙に油が染みているのを見たとき ・新しいゲーム機の初期設定をしているときの、焦れるようなワクワクするような感じ ・ロイヤルホストなどのファミレスの看板が、雲ひとつない青空をバックにゆっくり回転している ・22時22分 ・式典のために用意された、デカい花瓶に入ったデカい生花の近くを通ったときに感じる、強い花の匂い ・12月の雨の日、降っているものにあられが混じっていることに気がつく瞬間 ・春先に飛んでるオレンジ色のチョウチョ(ツマグロヒョウモン!) ・夏場に美術館や博物館に行ったときの、圧倒的な涼しさ(案外人は多くて、静かさはない) ・自転車でネコの横を通り抜けるときにネコが見せる、いつでも動けるように緊張した姿(実際
熊の子見ていたかくれんぼ 実は出だしで全てを語っている。つまり人間(の子供)がかくれんぼして遊んでいる姿を、小熊がみているという出だしなのだ。 これが気づけるかどうかで、次から小熊目線で人間を観察している様子が理解できるかどうか決まる。 お尻を出した子 一等賞 で、表題の件。 当然ながら小熊はかくれんぼのルールを知らない。 小熊の目線から観察すると、お尻が出てる子が一番先に見つかる様子を見て、最初に見つかった子が一等賞だと思い込んだという歌なのだ。 この歌詞の優れているところが、「お尻が出ていたため一番先に見つかった子」はかくれんぼのルールでは敗者なのだが、見つかってもなぜか楽しそうにしている姿を見て一等賞だと勘違いした、言い換えれば一等賞だと勘違いするほどに見つかった側も楽しそうにしている、つまりみんなが楽しそうにかくれんぼで遊んでいる情景をたった2行で豊かに表現していること。 (ただし
大切なのはまさにそれ。 イラストサイトがAI禁止を表明する流れがきてる。 機械生成だらけになったサイトがブランド力を維持できなくなるのは自明の理屈だ。 お客が求めてるのは携わる人間のあり方。作家性だよ。 人間が出てこない小説・マンガ・アニメ・映画…はこの世に存在しない。ひとつもない。その理由がわかるか? 人は、人間に共感し、感動するからだよ。 人間同士が表現を介してコミュニケーションを取り合う。 インターネットってそういう場所。 忘れられがちだけどネット使用料を毎月払ってる俺らこそが、インターネットを支えてる。 機械どうしのコミュニケーションなんて要らない。意味ない。 作家性への敬意を取り戻そうとする流れが加速すれば、必ず偉い人たちを動かせる。法律は変えられる。プログラマー連中がお気持ち、お気持ち、うるさいけれど、法律は国民のお気持ちが合体して作られてるんだよ?
俺もその春になると湧くおかしいやつだった。4年前まで。 【更に追記→『背景はそれぞれだろうが、こういうケースもあるんだな』という話だ。 『花粉症がここまで問題になる前から〜』に星入れる前に、『木の芽時知らんのか』とかコメする前に、ちゃんと読もう。 なにぶんただの日記がホッテントリになるとは思ってなかったので、見落としやすい書き方にはなっていたのだろうが、春におかしいやつが湧く理由は様々あろう中で、こういうケースがあった、そして解決できたんだという主旨の日記だ。】 毎年春にはなんかしら発狂していた。そして、夏になる頃に後悔する。けど次の春にはまた何かやらかすというループだった。 さすがにいくらなんでもおかしいと思っていたんだが、精神科とかにかかるのは怖いというか世間体やらで気が引けて、「次こそは気をしっかり持つぞ!」と意気込んで、結局毎年何かやらかしていた。 だが、4年前の春に警察の厄介にな
人間関係構築するのめっちゃ上手い人とかコミュ力死ぬほど高い人っているじゃん? ああいう人って決まり文句のように「昔は全然しゃべれなかったんだけど、努力して話せるようになった」とかいうの良く見るけど、あれウソだと思う。 才能があったからに決まってる。 構造的な話をするとそもそもコミュニケーションとか人間関係の練習を積む機会が限られているから。 ちょっと考えてみたらわかるけど、些細なコミュニケーションエラーを起こすとお前ら大体ソイツを「危ない人」「関わりたくない人」認定するだろ? んでその評判ってコミュニティ内であっという間に拡散されて、誰もソイツと口を利かない関わらないって対応とるようになるよな? 何が言いたいかって人間関係とかの人の感情が絡む物事になると、「失敗したから次は反省して改善する」ってPDCAが構造的に回せなくなる。 だって人は些細な失敗をすると関わらせなくして学習の機会を奪い取
失敗したというか、そもそも成功するかどうかわからない雑さだったので生きている。 それは本気で死ぬ気ではなかったのでは、と思われるだろうが、後にも先にもあんなに「死」に取り憑かれたことはないし、本当に病的に死ぬ気だったのだと自分ではわかる。 当時の自分は、社会人一年目で、新卒の人間も自分の他に一人しかおらず、あまり職場に馴染めず鬱々としていた。 こう書いてしまうとさもありなんと思われるだろうが、それ自体は別に死ぬほどのことではなかった。 仕事の代わりに趣味が充実していたし、楽しいこともいろいろあったし、明確なパワハラがあったわけでもない。 なんとなく職場のことは好きではないが、やってることはまあ嫌いでもなかった。 なかったのだが、色々なストレスが自覚もないまま積み上がっていたらしい。 とある連休の折り、地方住まいの両親が会いに来てくれた。 食事の席で珍しく酒を飲み、少々酔い、気分良く話してい
属性的には風紀委員と女上司合わさった感じでいいじゃん、 男嫌い、見下してくる、悪役にしやすい、チンコ堕ちが映える どう思う?
1日に何人かは必ず会うよな すれ違うとき狭いほうに突っ込んできたり 電車の手すりにぶら下がってたり 歩きながらおでん食ってたり ちょっとへんなやつ多すぎじゃない?
なつかしいなぁ 正直0年代の2chではネトウヨしてた その前にもアングラ系サイトとかのウヨウヨしてる政治活動家とかを真に受けていたんだけど、ニュー速+に入り浸ってて今で言うフィルターバブルにどっぷり浸かって、ネトウヨとして成長してた そのあと何故かニュー速(いわゆる無印)に流れ着き、こいつら全然ニュースの話ししてない!?と驚愕して、ニュースをさかなに雑談を適当にするという文化に染まり、極右に凝り固まった政治イデオロギーがだんだんほぐれていった。 今となっては笑い話だけど当時はアウシュビッツデマ説とか従軍慰安婦居なかったとか、南京大虐殺無かったとか、生活保護は在日の特権だとか、割と真剣に信じてて、危うい感じだったなぁ。 何度目かの嫌儲移住祭りで嫌儲に移住し、いくつかのSNSを渡り歩いて現在に至る あっと、話は関係ないけどいちおう嫌儲について語っておく、 字面のせいで嫌儲は、儲けるのが嫌いな人
バブル期ノリのパワハラ芸が時代に合わずテレビから消えたとんねるず。 なんとか時代に合わせようと、もはや毒素の無いビートたけしになりつつある松本人志。 めちゃくちゃしつつも根っからの弱者目線で松本人志よりも評価された太田光。 大物たちがそれぞれ昭和の己の価値観と向き合いながら生き残りを探る中、全く話題にされない超大物がいる。 明石家さんま。 さんまのラジオはもう時代に合わなさすぎてきつい。悲しくなるほどしんどくなる。昔の明石家さんまは面白かったが、今もそのままのノリで生きている。つまり終わってる。 君たちは明石家さんまが何言ったとか何してるとか、知らなさすぎじゃない?無視してんの? 例えば、アンジャッシュ渡部に関しては芸人仲間ゆえ擁護しつつ、「トイレで愛し合ったらあかんのか?!」と言い放っている。渡部の問題は元々障害者や車椅子のかたのためにと始まった、多目的トイレを利用したことが問題なのに、
愛知県の知事をリコールするための署名運動が、86万筆を必要としたものの43万までしか集まらず、思いっきり失敗して頓挫した。 43万というのはなかなか不思議な数字で、運動の音頭を取っていた高須院長の以前からの言動と比較すると、「全然足りてねえじゃねえか」という気もするし、純粋に数だけみれば、かなり集まったな、という気もする。 俺は高須院長とその界隈がハラワタの底から嫌いなので、高須氏本人とサポーターであるジャーナリストの門田氏のtwitterに、次のようなリプライを送った。 ・必要な数には届かなかったが、43万というのは本当に立派な数。正式な手続とはならない以上、本来は不要な検証ではあるが、ぜひ中身を精査し、43万人分の民意が実在することを堂々と知らしめて欲しい ・ところで、今回の運動のさ中、事務所に盗聴器が設置されたり、乗用車に工作の形跡が確認され被害届が出された経緯があったと思う。これは
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