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哲学に関するgauquiのブックマーク (541)

  • カオスちゃんねる : もしかして人類にとって最も幸福な選択は滅亡することじゃね?

    2012年01月20日15:00 もしかして人類にとって最も幸福な選択は滅亡することじゃね? 1 名前:ローカルルール・名前欄変更議論中@自治スレ[] 投稿日:2012/01/18(水) 22:59:00.43 ID:YYKdLFK10 幸福=不幸がない状態と定義した場合 4 名前:ローカルルール・名前欄変更議論中@自治スレ[] 投稿日:2012/01/18(水) 22:59:54.67 ID:ZbvdnQCk0 同時に最大の不幸じゃん 5 名前:ローカルルール・名前欄変更議論中@自治スレ[] 投稿日:2012/01/18(水) 23:00:22.80 ID:YYKdLFK10 >>4 滅亡する瞬間には70億人が苦しむかもしれないが これから生まれてくる累積数百億人の潜在的な不幸を取り除くことが出来れば トータルで見てより多くの人々の幸福を実現した状態にならない? 6 名前:ローカルルール

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    盛岡旅行記 なぜ盛岡か。 白龍 店のじゃじゃ麺 岩手銀行赤レンガ館 白沢せんべい店の南部せんべい 盛岡天満宮と盛岡八幡宮 チーズケーキのチロル 大通店のクリームチーズケーキ フェザン/イオンタウン 盛岡駅前 盛楼閣の盛岡冷麺 福田パン 長田町店のパン マルイチ 材木町店 …

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  • ルソー『化学教程』翻訳プロジェクト|月曜社

    第一回「ルソーは化学にどのような夢を見たか?」 2011年6月28日 淵田仁 知られざる著作 2011年6月28日。今日はルソーの299回目の誕生日である。そして、来年は彼の生誕三百年にあたる。そのため、来年、ルソーの生地であるジュネーヴやフランスにて様々なイベント、シンポジウムが行われる。 このような記念すべき日を前にして、私たちはルソーの知られざる著作を読み解きはじめたいと思う。その知られざる著作とは、ルソーが私たちのよく知っている「政治思想家ルソー」になる以前に書かれたものである。すなわち、パリでの論壇デビュー作品『学問芸術論』(1750年)が書かれる以前に書かれた作品であり、ルソーの思想が開花する後の『人間不平等起源論』(1755年)や『社会契約論』(1762年)以前に執筆された。 その作品は『化学教程Institutions chimiques』と名付けられている。フランスのルソ

  • プロセスについての超越論性 - Freezing Point

    以下の引用は、ガタリの論考「ジェラール・フロマンジェの『夜、昼』」(1984年)より。*1 邦訳『闘走機械』と、原書『Les années d'hiver 1980-1985』のページ数を記しています*2。 彼は、描くという行為の画家である。英米系言語学者が言表行為を「スピーチ・アクト」というのと同じような意味での、「ペインティング・アクト」。(pp.230-231) Il est le peintre de l’act de peindre. Painting act, au sens où les linguistes anglo-américains de l’énonciation parlent de speech act. (p.258) フロマンジェのリアリズムは〔…〕、支配的な現実や意味作用をどう処理するのか、という実験として成り立っている。それは、新しい絵画的資材を(鉱石

    プロセスについての超越論性 - Freezing Point
  • 『〈原子力の時代〉の哲学(3)』

    さて、前回、ハイデッガーが技術(テクネー)を 「こちらへと-前へと-もたらすことHer-vor-bringen」 (フランス語ならpro-duction) として考えていたということ、 そして、 それと区別される「現代技術」は、 その圏域を逸脱し、 自然を「挑発するHerausfordern」 ようになっているという点を紹介しました。 しかし、この 「こちらへと-前へと-もたらすことHer-vor-bringen」 っていうテクネーの定義、 これがなんだかよく分からないわけです。 風車ならいいと言っているから、 ハイデッガーの技術論をそのまま現代に持ってきてもダメだろう と前回書きました。 そうなんですけど、 この 「こちらへと-前へと-もたらすことHer-vor-bringen」という表現で ハイデッガーが何を言いたいのか、 それをもうちょっと実感をもってつかめないと 安易な批判で終わり

    『〈原子力の時代〉の哲学(3)』
  • ララビアータ:考えるってどうすればいいの? - livedoor Blog(ブログ)

    『ドリームナビ』4月号が出る。例の「子供の難問」シリーズ第四回は、野矢茂樹さんと柏端達也さんとが、「考えるってどうすればいいの?」という難問に答えている。 どちらも、それぞれのお人柄がにじむ面白い出来栄えのものになっている。 私も、自分なりにこの課題に答えてみた。 「考えるってどうすればいいの?」 「考える」にも二種類あって、一つはわかりきったことを考えること、もう一つはわからないことを考えることだ。 夕で鰻丼をべたいと考えたり、の不機嫌そうな顔を考えるのが前者であり、堂でカツ丼と鰻丼ではどちらがうまいかとか、(たぶん)君の知らない土星の第三惑星の名前について考えたりするのが後者。前者はわけもないことだけど、あまり役に立たない。鰻丼についていくら考えても、それが眼の前に出てくるわけじゃない。後者については、いくら考えたってわからない。実際にべてみるか、人に聞くかしなければならない

  • ララビアータ:プラトンの『メノン』 - livedoor Blog(ブログ)

    メノン プラトンの『メノン』の新訳が、渡辺邦夫さんの翻訳で、光文社文庫から出た。 一読したところ、とても素晴らしい訳業だと感じた。光文社文庫は、古典の新訳を次々に出すというたいへん意欲的な試みをしている。渡辺氏の訳は、非常に自然な日語でわかりやすいばかりではない。ごく最近の国際的な学術的研究成果を踏まえた格的なものでもある(らしい)。私自身、古典学の最近の動向を知らないので、これは訳者あとがきからの知識である。 加えて、文と同じくらい浩瀚な解説がついている。この訳業の大きな特徴はこの点であろう。 このような高い水準の翻訳が一級の古典に新たに加えられたことを、読者の一人として喜ぶとともに、渡辺氏の学者的良心と出版社の炯眼を賞賛したい。 ただここでは、氏の解説を読んで感じた私自身の違和感や批判的考察を中心に記しておきたい。もちろん、このような違和を感じさせてくれるということ自体が、私自身

  • リレーショナル・データベースの世界

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • SITE ZERO | カール・レーヴィット『世界と世界史』(柴田治三郎訳、岩波書店、2006)|森田團

    HOME トップページへ About SITE ZERO/ZERO SITEとは Books SITE ZERO 次号予告 / Next Issue バックナンバー / B.N. 原稿募集 / Contribution 取り扱い書店 / Store 注文フォーム / Order SITE ZERO Review SITE ZERO レヴュー [記事数:53] Links リンク集 »SITE ZERO DIARY BLOG SITE ZERO/ZERO SITE 関係者が綴るダイアリー。 さまざまな情報、日々の関心を投稿します。 カール・レーヴィット『世界と世界史』(柴田治三郎訳、岩波書店、2006)|森田團 2006年12月04日 書(初版1959)は、訳者である柴田治三郎──レーヴィットに全幅の信頼を寄せられ、数多くのレーヴィットの著書を翻訳した独文学者──によって編まれ

  • 宇波彰現代哲学研究所 ジャック・デリダ『マルクスの亡霊たち』を読む

    ジャック・デリダの『マルクスの亡霊たち』(増田一夫訳、藤原書店、2007,以下NBと略記し、そのあとに引用したページ数を示す)の原書は1993年に刊行されている。邦訳が待ち望まれていた、1990年代におけるデリダの代表的な著作である。デリダの他の著作と同じように、書もかなり難解ではある。しかし元来は講演の記録であり、読み返しているうちに、しだいにデリダの情熱のようなものが伝わってくるであろう。この情熱は、書のあとに刊行された『マルクスの息子たち』(国分功一郎訳、岩波書店、2004、MMと略記)にも継承されている。 書にはデリダのいくつかの基的な概念が示されているが、評者はそのなかで特に「遺産相続」(héritage)の概念を取り上げておきたい。デリダのいう「遺産相続」は、与えられた遺産をそのまま引き継ぐことではない。それは遺産を「濾過し、選別し、差異化し、再構造化」(MB.129)

  • 『〈原子力の時代〉の哲学(2)』

  • ゼンネルト、ライプニッツと灰より現れる植物 Blank, "Sennert and Leibniz on Animate Atoms" - オシテオサレテ

    「ゼンネルトとライプニッツにおける生きている原子」Andreas Blank, "Sennert and Leibniz on Animate Atoms," in Biomedical Ontology and the Metaphysics of Composite Substances 1540–1670 (Munich: Philosophia, 2010), 189–205 = in Machines of Nature and Corporeal Substances in Leibniz, ed. Justin E. H. Smith and Ohad Nachtomy (Dordrecht: Springer, 2011), 115–30. http://www.springerlink.com/content/m353624815621620/ 昨日取り上げたArthur

    ゼンネルト、ライプニッツと灰より現れる植物 Blank, "Sennert and Leibniz on Animate Atoms" - オシテオサレテ
  • 『〈原子力の時代〉の哲学(1)』

    いま発売している『atプラス』という雑誌で、中沢新一さんと対談しています。 「〈原子力の時代〉から先史の哲学へ」ってタイトルなんですけど、 この〈原子力の時代〉ってのはハイデッガーの言葉なんですね。 ハイデッガーは彼が生きた時代をそういう時代だって思ってた。 atプラス 11/中沢 新一 ¥1,365 Amazon.co.jp 福島第一原発の事故以来、 ずっと原子力について考えてきました。 哲学に携わる者に何ができるかって視点から 考えてきました。 その成果の一つが上の中沢さんとの対談です。 で、 あの後もいろいろ読んだりして 考えるところがあって 追加したいと思ってることがあるんで ここに書きたいと思います。 何回かにわけて連載します。 まず原子力発電は「原子力の平和利用」という言葉とともに現れるんですけど、 この言葉の起源はおそらく アイゼンハウアーが1953年に国連で行った「Atom

    『〈原子力の時代〉の哲学(1)』
  • 分析哲学における「深層」の欠如 - オベリスク日録

    分析哲学講義 (ちくま新書) 作者: 青山拓央出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2012/02/01メディア: 新書購入: 14人 クリック: 159回この商品を含むブログ (37件) を見るいやこれ、とてもいいだ。自分の分析哲学に対する不満が、よく理解できた。結局分析哲学は、徹底的に表層的で、深層とというものを認めないのだと思う。分析哲学で「意味」がうまく扱えないのは、それも一因であろう。まあ、無いものねだりなのだろうが。自分は、やはり「意味」は存在すると考える。例えば、米原万里さんが書いていたことだが、同時通訳者が翻訳されるべき発話を聞くと、まず何語でもない「意味のかたまり」のようなものが現れ、それを他国語に翻訳するというのだ。自動翻訳ソフトによる翻訳が、なかなか自然な言葉遣いにならないのは、「意味」というものの難解さに関係があるのではないか。 では、分析哲学は無意味か。そうとば

  • 「所有」と「交換」(モース) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 マルセル・モースの世界 (平凡社新書) 作者: モース研究会出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2011/05/13メディア: 新書購入: 7人 クリック: 42回この商品を含むブログ (20件) を見る 佐久間寛「経済 交換、所有、生産――『贈与論』と同時代の経済思想」(in モース研究会『マルセル・モースの世界』*2、pp.181-212)からの抜書きの続き。 わたしたちの経済は、物が商品として、つまり貨幣を媒介として交換される経済である。主な交換の場は市場である。そこでは、物だけでなく労働力や権利なども商品として売買される。売り手と買い手は、少しでも多くの利益が得られることを望む。私的な利益を追求する個人や企業による自由競争が経済活動を支える原動力であるともいわれる。いわゆる自由主義経済である。 一方、モースの描いた贈与交換の世界において、物は商品以上の何かである。それは人

    gauqui
    gauqui 2012/02/13
    「モースがみいだした贈与の体系において商品交換をささえる私的所有の前提はなりたたない。(中略)所有者のように見える人は、物を自由に使用・処分しうるどころか、物がいっとき身を寄せる場所のような何かに近い」
  • 信州FM - サービス終了

    信州FMは2021年3月31日をもってサービス終了とさせて頂きました。長きに渡りご愛顧頂き当にありがとうございました。

  • 「かれの尊敬は、軽蔑よりも侮辱的で、恥辱的である」 - Living, Loving, Thinking, Again

    「古代人は神話を信じたか」*1の余白への落書き; (前略)「双面像」的存在であるソクラテスはギリシア思想史において、最初の近代的複雑さ、最初のペシミスティックな分離、最初の謎を体現している。(略)ソクラテスはかれの実例によって、美は常にすばらしいものであるとか、善と真の発光であるというのを否認し、外見は常に質の真実な現れであるというのを否認する。肉体的醜さと道徳的美しさとの交錯を確立するソクラテスの仮面は、人間に自分の現代性を教えてくれる。外面は雄山羊のように醜く、内面は神のように賢いソクラテスは、その斜視と、かれ自身の神話のかげに隠れて、善=美という公的、自己満足的、公教的な方程式を離してしまう。かれの容貌はかれの思想を裏切り、かれの言辞は二重の意味に解され、かれの使命を巧妙に塗り隠している。かれは偽って明瞭なのであり、カリクレスの妙技やエウテュプロンの偏狭な信心ぶりに感心するふりをし

    「かれの尊敬は、軽蔑よりも侮辱的で、恥辱的である」 - Living, Loving, Thinking, Again
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    ●ライプニッツについてネットで調べていて、『ヨーロッパ精神史入門』(坂部恵)というに行き当たって興味をもった。坂部恵という名前は勿論知ってはいるけど、「批評空間」のカントに関するシンポジウムくらいでしか読んだ記憶はなく、なんとなくカントの専門家というイメージしかなかったけど、このはそういうイメージとはずいぶん違うみたいだ(カントに関するも一冊くらいは読んだ気もするけどよく憶えていない)。といっても、ぼくはこのを読んではいなくて(「日の古屋」で検索してもひっかからず、アマゾンのマーケットプレイスでは六千円近くする…)、以下に書くことは下の書評のみを参照している。 http://d.hatena.ne.jp/katos/20111007/1317981119 ●実在論者と唯名論者の間でなされる普遍論争というものがある。実在論(スコトゥス派)とは、普遍そのものがそれ自体で存在すると主

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    ●去年読んだジェフ・ホーキンスのは、脳(新皮質)の仕組みを調べることで、そこから人工知能を可能にするシステムを探り出そうとするものだった。今年読んだ西川アサキのは、脳こそが幻であるとし、モナドロジーによって心身問題をあらたに構成し直そうとするものだった。いわば、真逆のアプローチなのだが、それによって描き出される世界の描像はとても似ていて、親和性が高いように思われる。脳から攻めていっても、クオリアから攻めていっても、ほぼ同じような地点に至る。脳から導きだされるシステム・構造も、モナドから導き出されるシステム・構造も、とても似たかたちをしている。それはどちらも、階層構造と並列構造の重ね書きとして示され、下から上へと上から下へという、情報の流れの双方向性が強調される。 ●ではなぜ、そのようなシステムが一方で物質となり、もう一方でクオリアとなるのか。この地点に徹底してこだわっているのが、郡司ペ

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