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歴史と韓国に関するgauquiのブックマーク (1)

  • 朝鮮通信使の忘却 - heuristic ways

    竹越与三郎『新日史』の中に、1853(嘉永六)年に「米国水師提督ペルリが、軍艦四艘(そう)、五百六十余人を率いて相模(さがみ)の浦賀に入り来たりし」ときの衝撃を説明したくだりがある。 我国民はいまだかつて外交の何たるを知らざるものなり。その僅かに知る所は、我より兵力を以て三韓を威服したると、元主が十万の兵を発して、我辺境に迫りし一事のみ、その記憶の中に存ぜり。されば外交と滅亡とは、殆(ほと)んど我国民の脳中には一様の意味に解されたり。いわんや百千丈の巌のごとき四艘の黒船が浦賀に入り来るや、その義侠博愛なるワシントンの子孫が通商を求めんがために来りしものたるは、我国人の解し得ざる所なり。  これは実に印象的な説明で、私も最初はなるほどと頷くところがあった。 だが、よく考えてみると、この「記憶」からは、16世紀頃にポルトガルやスペインの勢力が日に「来航」していたことや、室町時代に始まり、秀

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