背景ともくろみ ヒュームは、われわれの行なう道徳的な善と悪との区別が知的な能力の行使すなわち認識作用に由来するのではなく、善と悪との区別が行なわれる時に見出されるものは、特有の種類の快苦の感情が生起するという事実以外に何もないと主張した。してみると、ヒュームの道徳哲学は、われわれの道徳意識のあり方を事実の問題として解明する、道徳の自然史であると考えられよう。確かに、彼の道徳哲学のなかで最も注目すべきであり、現に注目されてもきたのは、その正義論、すなわち、われわれの生活する社会的世界を支える基本的な諸規範が利益の感覚に導かれた人為に由来するものであることを解明した議論である。 一見、このような自然史的探究としての道徳哲学は、人びとの道徳意識を、現にある通りのしかたで示すのみであり、そのあり方をよしとするような、あるいは逆にそのあり方を批判し、よりよい方向に導こうとするような、規範的な含みを