実は顔を合わせたことはあれど、じっくり話すのは初めてだという二人の対談の前半は、「フィクションだから描き出せるもの」を中心に語っていただいた。後半は、『罪の声』でも描かれている「事件の真相を明らかにすること」と「人の人生をエンタメとして消費すること」の微妙な違いを入り口に、エンターテインメントの力、ニュースの役割についてお伝えしていく。 「事件をエンタメとして消費しているだけだ」 小栗さんが演じる新聞記者の阿久津が「人が亡くなってもいないのに事件を掘り下げるのは、この事件をエンタメとして消費することになりませんか?」と上司にくってかかるシーン。このとき古館寛治さん(館は本来は舎に官)演じる上司が「消費されないようなニュースを作ればええねん」としびれるセリフを返していて、新聞記者ならずとも、テレビや雑誌などのメディアで働く人間にとっては、ドキリとするシーンとなっている。 「エンタメとして消費