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2008年11月4日のブックマーク (1件)

  • 「下山事件」を歩く

    昭和24年7月6日0時25分ころ、常磐線下り最終列車が北千住を過ぎ荒川を超えて東武伊勢崎線と交差する辺りに差し掛かった時、近くに轢死体があるのを運転手が発見します。これが「下山事件」(下山国鉄総裁の轢死体発見)の始まりです。米軍占領下の昭和24年は戦後の日にとって節目の年となっています。1月には戦後3回目の総選挙で、保守政党の民主自由党(吉田茂)が過半数を獲得して圧勝、これまで第1党だった社会党に変わって共産党が大躍進しています。2月初旬、米国はドッジ・ラインを提案。これは、緊迫する米ソ関係(翌年の昭和26年6月には朝鮮動乱勃発)に対応して、日を「反共の砦」として独立させる必要があり、戦後の疲弊した日経済を早急に建て直さなければならなかった為です。この政策は無駄を削く超緊縮財政が中心(今の日とほとんど同じですね)で、労働者の大量解雇などが含まれていました。特に5月に「行政機関職員定

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    gemini7 2008/11/04