オーベルジーヌ実食レポ 食べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の本格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモン食ってんのか 許せねえよ………
ウチのサイト見てくれてる人の内の何人のアンテナにヒットするのか皆目検討がつかないのですが、これは宣伝しておかねばなりますまい。 絶望期の終りあびゅうきょ 幻冬舎 2005-10-24 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools ぼくはAmazon待ち状態なのでまだ読んでませぬが。 過去の作品を含めて大好きなんですよあびゅうきょ先生は。ぼくの漫画の趣味ってのはメチャクチャ両極端で、週刊少年誌や赤松漫画が「明」の世界だとすると、「暗」に属するのがあびゅうきょ漫画ではないかと思います。 この人の同人誌なんかもかなり買い揃えていたんですが、ここ二年ほどは新刊を買えてないのが悔やまれますが。 追記 久しぶりにあびゅうきょの日記を読み返してみた。 商業漫画の絵は、実際のところ描いていてそんなに面白いものではない。 キャラクターは「記号」であるから最初から最後まで統一感がなく
今思ったんやけど、こう頭の良い人たちがエロゲってのが最先端のネタから少し遅れてネタ(最近だと量子学とかかな)を取り上げて物語を作ってるってことを言ってたけど。 それって、エロゲがルネッサンスによって成り立ってるからなんだって思った。 世間の何処かの分野で発見されたものにライターが影響を受けてエロゲーマーに再発見を促すの。 古いエロゲユーザーは、いろんな物語の手法を知ってる。 だから、コレがベタとかメタとか判別するわけだけど 熟練したユーザー相手のゲームだと新規ユーザーは意味不明でついていけなくなる、そして一部の人たちに喜ばれるコアなライターがいっぱいできた。 でさ、歴史が繰り返されるのは僕らが過去を顧みないからだ。 例えば、今の世代のエロゲーマーに君望がうけたのは、バブル期の脂の乗った時期のドラマのよさを若い世代が再発見したに過ぎないともいえる。 つまり、旧世代の遺産を再発
■[マンガ]来るべきあびゅうきょ論のための避雷針として あびゅうきょの新刊『絶望期の終り』が、ある遅れをともなって手元に届いた。「あびゅうきょの新刊」という言葉の響きは、ある人々にとっては、それだけで不思議に心地良い違和感をもたらすものかもしれない。その違和感は、あびゅうきょが寡作の作家でありつづけてきたという事実にだけではなく、この作家の負っている歴史の重みにも拠っているのだろう。 82年から、『リュウ』や『プチアップルパイ』などの商業誌に作品を発表し始め(やはりその頃に編集としての仕事を開始した大塚英志の目にとまったのがきっかけだった)、宮崎駿の存在を真に受け止めながら描き続け、やがて95年前後、「エヴァンゲリオン」によって大きく揺れ動いてゆくことになる同人誌の世界に深く入り込み、庵野秀明の問いかけを驚くような仕方で読み換えつつ全身で生きながら、いくつかの独自のスタイルを探りあて、そ
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