暇なんで気まぐれにオンラインのTRPGサークルを作ってみた。 ニコ生でメンバーを募集したので、お互いにまったく知らない同士が集まってキャンペーンを始めるというレアな光景が見れた。 そのサークルはチャットなのでとにかく尺がなくってほとんど戦闘しかないようなシナリオなんだけど、でも2回3回とセッションを重ねるうちに自然とキャラ付けがされていく。ロールプレイをする機会なんてないのに。 最近のTRPG…たとえばサイコロ・フィクションなんかは、シーンを決めて「はいそれじゃあロールして」と言われるけど、それをしなくてもロールプレイって実は自然に行われている。 ここで発生するロールプレイっていうのは、たとえば「あのキャラは頼りになる」とか「あのキャラはいつも大事なところで失敗するから頼りにならない」とか「あのキャラは本人より馬のほうが優秀だ」とかそうものだ。 これらのキャラ付けは本人が望む望まないに関わ
上の記事はあまりメッセージを明確化できなかったのだけど、文章にまとめてみると色々発見があるものでそのメモ。 達成が主眼なゲームと回復が主眼なゲームでは作り方に違いがあると思った。 達成が主眼なゲームでは、何か明確な目標があったり、打ち負かすべき敵がいたりする。このとき達成したなら報酬が欲しいので喪失はない。むしろ喪失があったら困る。頑張って魔王と戦ったのに姫が死んでたとか勘弁して欲しい。 一方回復が主眼なゲームでは、そもそもマイナスからのスタートでそれを励ましたり、日常を過ごしたり、しながら回復させる。 ゲームっていうのはこの2パターンあって喪失と相性が良いのは後者。 逆にTRPGってフォーマット的に達成型になっていて回復型の話にするのがゲームとして難しいのではないだろうか。基本的にはサイコロを振って成功判定して、その成功判定を積み上げていくゲームはどうしても達成型なのでは。 心の回復をど
最近はつゆきさくらに代表されるSAGA PLANETSの四季シリーズを遊びました。 遊びながら、このシリーズのストーリーはギャルゲの王道的な鉄則に基づいて作られていると感じましてそのあたりを考察してみたいと思います。 王道的な鉄則が悪いとか古いとかそういうことを言いたいわけではありません。むしろTRPGでシナリオを作るときなどを念頭に置いて、そうした王道を生かすためには何に気をつけなければならないのかなどを考えていきたいと思います。 以下、はつゆきさくら、キサラギGOLD★STAR、ナツユメナギサの非常に身も蓋もないネタバレが含まれますのでご注意ください。 さて、僕が”王道”と称したのはどういう物語構造かと言いますと、ヒーロー(ヒロイン)がヒロイン(ヒーロー)と別れて成長するという構造です。 ナツユメナギサは以下のような話です。長い幼馴染期間を経て恋人に至った渚と歩でしたが、渚が海難事故に
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