タグ

意識に関するggg123のブックマーク (2)

  • 正月風景: 極東ブログ

    寝正月であることが察せられ、事会に来ないか、と誘われた。 行くことにした。この時期、都心は、寺社やショッピング街を除けばけっこうがらんとしている。悪くないじゃないか。電車も比較的空いているだろう。そう思ったのだが、ハズレだった。 乗り慣れない路線なので、始発が出る駅で乗り換えて座った。ぼんやりしていると奇妙な疲労感に襲われて眠くなり、何とはなしに社内アナウンスを聞いていた。うつうつらとした意識のなかで、あれは日語か英語か、それともフランス語か。 20分もたってないだろう。隣からぐいと押された。見回すと車内は存外に混んでいた。 そして眼前に、セーターで覆われた大きなおなかがあった。 妊婦? 即座に思った。 反射的に立ち上がろうとしたとき、彼女の顔を見て、なんというのか、パズドラのボスキャラ、とか一瞬思った。 失礼。 何歳なのだろう、この女性。40歳はがちで越えている。 そして大きなお顔

    ggg123
    ggg123 2014/01/07
    自傷的ためらい
  • [書評]意識は傍観者である: 脳の知られざる営み(デイヴィッド・イーグルマン): 極東ブログ

    デカルトの「我思う故に我あり」は通常、「思考している自分は存在している」と理解される。「自分という意識は確実に存在している」というわけである。当たり前ではないかと思うかもしれない。残念でした。「自分という意識」は脳機能の処理結果であって、それ自体で存在しているわけではない。あなたには自由意志なんてない。あなたの意識や自由意志は脳のプロセスの、ただの傍観者なのである。 冗談のようだがこの話は脳科学を学んだ人には常識の部類である。なにかをしようと意識するよりも身体のほうが先に動くことは実験科学的にわかっているからだ。座っていて「ちょっと立ち上がろうかな」という自由な意識は、実際には立ち上がろうとする身体の神経反応の後から生じている。生理学者ベンジャミン・リベット(Benjamin Libet)が1980年代に明らかにした(参照)。身体運動についての自由意識と思われているものは、身体意識の承認の

  • 1