■様々な近代国家がテロを民主主義の敵として奉り上げた瞬間に、ぼくたちは18世紀のジャコバン党の問題に再び出会っていた。「自由(を旗印にするわれわれ革命派)の敵(王制)には自由はない」というテーゼ。いつでも敵の大きさがぼくたちの大きさであり、敵の位置がぼくたちの臨界となる。そうして敵の殲滅とは、敵をぼくたちの内部に繰り込むことなのだから、つねに勝利は殲滅された側にこそ分け与えられることになる。敵はもう必要ない。彼らはぼくたち自身となって生き残っているからだ。1789年のブルジョア市民革命後、ジャコバン党(ロベスピエール)は自由と平等を民衆に与え続けるために独裁者となり、人々を次々とギロチンに送り続ける恐怖政治へと上りつめてゆく。このとき彼は、自分たちが闘ってきたもの、殲滅した敵の姿(自由の欠如)へと変貌してしまっていた。 ■何年も前にブームとなった国会議員たちの「年金未払い」に対する糾問は、