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2010年6月5日のブックマーク (3件)

  • 菅新首相会見から、「ある意味」を抜き出してみた: 極東ブログ

    菅新首相を会見をぼんやり聞いていたせいか、何をおっしゃっているのか皆目わかりません状態になってしまった。 ダメだ俺もうボケちゃったんだと思って、文字起こしされた会見を産経新聞「【菅首相誕生】会見詳報」(参照)で読んでみて、なんで自分がわからなかったか、わかった。「ある意味で」と菅首相が言われると、頭のなかで、「どんな意味で」と自動的に突っ込みが入り、そこが明示されないと、ペンディング状態になるのだが、そのペンディングの積み重ねで自分の脳みそのスタック許容量がパンクしていたのだった。 こんな感じです。 まずやらなければならないのは、サッカーでいえば岡田ジャパン、ある意味では、菅内閣と同時に、私が代表である民主党の体制をしっかりとしたものとして立ち上げなければならない。このように考えております。 岡田ジャパンに模されているのが、ある意味では菅内閣なのだから、もしかすると、九月には別の内閣になる

    ggg123
    ggg123 2010/06/05
    ユーモアですかね。ある意味で。
  • 不完全性定理 - 哲学的な何か、あと科学とか

    不完全性定理 1930年頃 一般的に言って、 「数学的に証明された」ことについては、もう議論の余地はない。 どんなに年月が経とうと、決して反論されることもなければ、 科学理論のように、よりすぐれた理論に取って代わられることもない。 主義主張にも善悪にも関係なく、また、どんな嫌なヤツが言ったとしても、 数学的に証明されたことは常に正しい。 まさに絶対的な正しさ。 「数学的証明」こそ、永遠不変の真理なのである。 だからこそ、数学を基盤にし、証明を積み重ねていけば、 いつかは「世界のすべての問題を解決するひとつの理論体系」 「世界の真理」 に到達できるのではないかと信じられていた。 さて、1930年頃のこと。 数学界の巨匠ヒルベルトは 「数学理論には矛盾は一切無く、 どんな問題でも真偽の判定が可能であること」 を完全に証明しようと、全数学者に一致協力するように呼びかけた。 これは「ヒルベルトプロ

  • ネットだからプロとアマの垣根がなくなるというアングルは、終わってもいいんじゃないか - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    ちと猛烈に忙しく、忙しいためか手慰みな感じになっちゃうけどご容赦。 大量のプロの表現者がべていける時代は、終わってもいいんじゃないか【湯川】 http://techwave.jp/archives/51457840.html ここでいう、「大量のプロ」というものを、読み手がどう想像するかによって、実は結論が異なる。私は、大量のプロは新聞社であり出版社であり広告代理店であるというような大企業で働く記者や編集者や広告マンのことかなと思って読んだ。文中には、「作家やミュージシャン、カメラマン、ジャーナリスト」とあるが、彼らかてこれらのプロフェッションの対価はそれなりの割合が新聞社や出版社や広告代理店で得ているだろうからだ。 彼らの存在が脅かされる対象として、アマター、すなわち無料の表現者によって市場を蚕され、対価を貰わないシステムがネットの中で完成し、完結することによって収入が下がってしまい

    ネットだからプロとアマの垣根がなくなるというアングルは、終わってもいいんじゃないか - やまもといちろうBLOG(ブログ)
    ggg123
    ggg123 2010/06/05
    そう考えるので、お前らustream観ろとか微妙すぎる結論にして書き飛ばして記事数とPVを稼ぐような雑な仕事で黒字化を目論もうとするのはどうなんだと思った。あと、既存のマスコミに対するルサンチマンもやめろとも感じ