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2019年6月9日のブックマーク (1件)

  • 自分が認められる自分でいられるために - とある京大生の人生観

    この記事は『価値観の共有は可能か?』で話した体験の感想の続きである。 あの記事の途中で「異なる意見を自己の否定と捉える種類の人」の話をした。 年代や地域によって分布が違うかはなんとも言えないが、このタイプの人種はそれなりに存在していると思う。 少なくとも私の周りには結構いる。 私はこのタイプの人間ではないので、会話において他者の異なる意見を楽しめる。。 というか、100人いたら100種類の意見があると思っているので、異文化交流の気分で異なる意見をとりあえず聞いてみる。 しかし、異なる意見を楽しめない人は間違いなく存在している。 そういう人がいると揉める必然性がない議論で無駄に揉める。 なぜ彼らは異なる意見を「否定」と捉えるのだろうか。 否定しているわけではないと言っても、声を荒げるのだろうか。 彼らは私の意見に反論をしない。 私が『意見A』だと思う、と意見を呈示した際、なるほど私は『意見B

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