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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (3)

  • 河上肇 貧乏物語

    序 この物語は、最初余が、大正五年九月十一日より同年十二月二十六日にわたり、断続して大阪(おおさか)朝日新聞に載せてもらったそのままのものである。今これを一冊子にまとめて公にせんとするに当たり、余は幾度かこれが訂正増補を企てたれども、筆を入るれば入るるほど統一が破れて襤褸(ぼろ)が出る感じがするので、一二文字の末を改めたほかは、いったん加筆した部分もすべて取り消して、ただ各項の下へ掲載された新聞紙の月日を記入するにとどめておいた。ただし貧乏線を論ずるのちなみに額田(ぬかだ)博士の著書を批評した一節は、その後同博士の説明を聞くに及び、余にも誤解ありしを免れずと信ずるに至りしがゆえに、これを削除してやむなくその跡へ他の記事を填充(てんじゅう)し、また英国の事公給条例のことを述べし項下には、事のついでと思って、この条例の全文を追加しておいた。ただこの二個所がおもなる加筆であるが、しかしそれでさ

    gnarly
    gnarly 2008/05/09
  • 芥川龍之介 孤独地獄

    この話を自分は母から聞いた。母はそれを自分の大叔父から聞いたと云つてゐる。話の真偽は知らない。唯大叔父自身の性行から推して、かう云ふ事も随分ありさうだと思ふだけである。 大叔父は所謂(いはゆる)大通(だいつう)の一人で、幕末の芸人や文人の間に知己の数が多かつた。河竹黙阿弥(かはたけもくあみ)、柳下亭種員(りうかていたねかず)、善哉庵永機(ぜんざいあんえいき)、同冬映(とうえい)、九代目(くだいめ)団十郎(だんじふらう)、宇治紫文(うぢしぶん)、都千中(みやこせんちゆう)、乾坤坊良斎(けんこんばうりやうさい)などの人々である。中でも黙阿弥は、「江戸桜清水清玄(えどざくらきよみづせいげん)」で紀国屋(きのくにや)文左衛門を書くのに、この大叔父を粉(ふんぽん)にした。物故(ぶつこ)してから、もう彼是(かれこれ)五十年になるが、生前一時は今紀文(いまきぶん)と綽号(あだな)された事があるから、今

  • オマル・ハイヤーム 'Umar Khaiyam 小川亮作訳 ルバイヤート RUBA'IYAT

    まえがき ここに訳出した『ルバイヤート』(四行詩)は、十九世紀のイギリス詩人フィツジェラルド Edward FitzGerald の名訳によって、欧米はもちろん、広く全世界にその名を知られるにいたった十一-十二世紀のペルシアの科学者、哲学者また詩人、オマル・ハイヤーム Omar Khayym('Umar Khaiym[#「Kh」に下線])の作品である。 フィツジェラルドが、一八五九年にその翻訳を自費出版で初版わずかに二五〇部だけ印刷した時には、若干(じゃっかん)を友人に分けて、残りはこれを印刷した屋に一冊五シリングで売らせたのであったが、当時はいっこうに人気がなく、いくら値を下げても買手がつかないので、ついには一冊一ペニイの安値で古屋の見切りの箱の中にならべられる運命となった。出版してから三年ばかり後のこと、ラファエル前派の詩人ロゼッテイの二人の友人が、散歩の途次偶然、埃(ほこり)に

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