落合博満が中日の監督に就任した8年前、男はすでに球界随一と評される捕手だった。落合が「名将」と称えられ出した時、男は「名捕手」と呼ばれはじめた。41歳、谷繁はまだ進化の途上にある。 「なんだ、この人?」 '04年から8年間にわたって中日ドラゴンズの指揮を執り、4度のリーグ優勝に導いた落合博満はユニホームを着ている間、選手個々の評価を頑なに拒み続けた。選手への配慮に加え、チームの機密が漏れることへの警戒もあったのだろう。 その落合が珍しく固有名詞を口にしたのが退任記者会見の席だった。 〈「一番変わったのは谷繁(元信)かもしれません。FAで来て、よそでレギュラー捕手だったわけですが、彼にも甘いことは一切言わなかった。彼が指導者になったとき、今まで経験したことをやってくれれば、いい指導者になると思います」〉(東京中日スポーツ'11年11月23日付) 落合中日の4度のリーグ制覇を語る上で谷繁を抜き