ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く食欲そそられますね 下足はミンチにし…
(タイトル変えました) どう見ても一人ひとblogじゃ足りない、3blogはほしい。 知的生産のツールとしてのblog(履歴書的ポジション) 精神的な悩みを打ち明けたり恋ばなをしたりするblog(チラシ裏・日記) リアル友達と繋がるためのmixiのアカ(馴れ合い)*1 一人3blogでちょうどいいんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。これ以上増やすと人格を管理するのもエントリ書くのも大変だし、かといってこれより少ないと個々のblogの主旨がぼやけてしまうし読み手も困惑する。 追記、もとい本文 今日はブログ論です。何でこんなこと書いたかというと、この3つの要素、とりわけ知的生産のツールとしてのblogと、自分の思いをあらわにしたいという感情むき出しのblogが一緒くたになっちゃうと、共倒れを起こしかねないから分ける必要があるなと思ったからなんです。 ウェブ進化論引用です: もう一つ重要な
増田より。以下一部引用 はてなーって交流しているイメージない >みんな閉鎖的でウジウジしていて前に踏み出せないオカマばっかだよね。 煽っているエントリなのかもしれませんが、率直な意見だとは思った。ブログやブックマークはこういった一面が確かにあるなと少し思う。 ブログやブックマークを有効活用している人はこういった否定的なとらえかたはしないだろうが、あまりWebを知らない誰かがはてなを見たとき、そういった感情を抱く人がいても不思議ではないと感じた。感情のぶつける場所が果たしてここでいいのか?とふと思うときはある。何か、ブログを通じて思いを伝えるという行為は、野球でいえば変化球、もしくは二階から目薬のような、そんな歪曲した行為であるように思うのだ。そしてそれが、居心地いい。 >どのブログもまるで放置されているかのような閑散とした状態。 ブログは確かに、まるで人っ子ひとりいないような閑散とした状態
護身。以上。 保身、と言いかえても良いかもしれません。ちょっとネガティブなニュアンスを放つ表現ですが。 ブログ/ネットに書くことに対する心構えがどうたら、辺りで。 読み手にとってのメリットデメリットとか議論しているようでしたが。 それ以前に、自分にとってのメリットデメリットを吟味しなきゃいけないんじゃないの? 思ったことを(ためらわず)どんどん書いてみよう!という趣旨のことを繰り返し説かれる方々は少なからず居られるようですが、ならばと実行に移そうとする人が居られるならその人たちにはちょっと待って、と言いたいのです。 もしそれで自分が何らかの傷を負ったとして、煽った先人達を責めても、誰一人相手にしてはくれないですよ? まぁ、(リアルの)生活に支障が出ない限度において、であれば、不注意その他で多少の痛い目にあうのはある意味訓練として肯定するのもアリかな、とは思わなくもないですが。 ブログに書く
ネット, 心理朝に、自分の書いたエントリをブックマークして、バイトから帰ってきてネットを見たら自分のエントリに思いのほかブックマークが付いていて驚いた。ブクマコメントを見てみると、何人かの人はライフハック的な部分をクローズアップしてるようだ。確かにそういう記事に刺激を受けて書いたんだけれど、自分が力を入れたのは、自己否定する人の心の動きの部分だったので少し意外だった。そこを書くことで、たまにふっと冷静に自分を見つめなおすきっかけになれば、と思ったのだ。それこそがライフハック的なものだろう、と言われたら確かにそうなんだが…。 自分で見つけないと自分の物にならない - 試作型思索と詩作一ヶ月くらい前の上記のエントリでも書いたように、他人の理由を引っ張ってきて無理やりに飲み込ませるような改造行為が自分は好きじゃない。ただ、こうやって自分なりに考えたことを毎日、外に出し続けて、自分の理由を晒すこと
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