戦争に負けて7年がたっていた。勤労動員に駆り出され、空襲警報に肝を冷やしたころがうそのよう。22歳になった渡辺和治さんは、家業の酒屋を手伝いながら、旧制尼崎商時代に鳴らした野球を楽しむ気ままな毎日をすごしていた。 そんなある日、阪神尼崎駅前、中央商店街にある「キャバレー春美」のマネジャーを名乗る男に声をかけられた。確か、地元の財閥系企業の野球部にいた男だ。 「辞めて春美のボーイになったんや」「いい会社に入ったのに…、アホやなぁ」「誰がアホやねん、ほっとけ」 ともあれ、キャバレーの社長が大の野球好きで、社会人チームを作った。経験者をスカウトして、選手を集めている。腕を貸して欲しいという依頼だった。いわく、ユニホームや用具一式は、商店街の運動具店でそろえてやる。練習は、やらない。試合だけでいい。そしたらな、店で好きなだけ遊ばしたるで…そんな条件を示したマネジャーは「ただし」と付け加えた。 「店