放送前から話題で、個人的にも一番注目していたのが、 【NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」では、春風亭昇太が今川義元を演じる】 という情報。 実際にオンエアされて、その反響は?大河ドラマのまとめは多数つくられるでしょうが、当方はこの一件にのみ絞りました。(というか、ドラマそのものは見てないっす) カテゴリは「ドラマ」。 続きを読む
放送前から話題で、個人的にも一番注目していたのが、 【NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」では、春風亭昇太が今川義元を演じる】 という情報。 実際にオンエアされて、その反響は?大河ドラマのまとめは多数つくられるでしょうが、当方はこの一件にのみ絞りました。(というか、ドラマそのものは見てないっす) カテゴリは「ドラマ」。 続きを読む
格闘家達のフォロワー数とはどの位? - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1067567 @togetter_jpさんから 格闘家達のフォロワー数とはどの位? 芸能人に比べて格闘家たちは毎日テレビに出られる訳でもないので露出度は少なくフォロワー数も比較的少ない。 声優や歌手はCDやコンサートなどもあってテレビに余り出なくともフォロワー数は比較的多かったりする。 地上波での放送がないので世間に届き辛かったりするから中々フォローされることもない。 新日本プロレスの選手達が何故フォロワー数を多く獲得… (略) あまね丸Mr @amanemaryu 2017-01-03 00:55:50 比べてボクシングはどうかというとそもそも世界王者8人中、ツイッターやってるのが八重樫と田中の2人のみ。フォロワー数は八重樫が6千、田中が1700。最近まで世界王者だった三浦が
この前、AIと思われる謎の無敵棋士がネットに登場し、一流棋士を倒しまくった…(その後、正式に正体がAiと判明した)という話を受け、こんな”二次創作”をかきました。 「謎の最強囲碁棋士ネットに登場。正体は新Ai?」。…ヒカルの碁のsaiも「ああ、Aiだったか」と(作品内でも)思われるんでしょうね… - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20161225/p1 という記事を書きました。 そこに頂いたコメントを受けて、少しさらにコメントを繋げたのが以下の話。 BigHopeClasic 2017/01/04 08:47 梶川さんもう60前後でしょうけどお元気なようで何よりです。 というか、この雑誌不況の中をパトスはしぶとく生き残ってますな。 gryphongryphon 2017/01/04 09:05 梶川記者の画像を入れたかったのだけど、ネットにはなかったです(某作
というわけで 人気のtogetter「犯罪者のカモフラが予想外に大繁盛…」を受けた僕のコメントと感想【創作系譜論】http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170109/p2 からの続きだけど、このテーマ選定もさることながら、もともとはてな界隈の皆さんは、ストーリーをこうやっていくつかの単純な要素に分類して(自分は「因数分解」とも呼んでいる)、それを体系的に考察したり、元祖やバリエ―ションの系譜を探るのがすごく好きでしょ? だって、このブログの書き手も同様に好きだからかなり何度もやっているけど、けっこうブクマつくものねえ。 で、ほかにもいろいろよみたい。特にtogetterで…… で、実は自分が、こういう種類のまとめで、タグが開放されているものについては、こっそりと「創作論」と「ストーリーテリング」というタグを付与しています。 始めは創作論だったが、ややそれは広すぎる
【創作系譜論】はこのブログの準タグです。この言葉で日記内検索すると関連記事が出ます 「犯罪を企てる主人公がカモフラの為に始めたお店が思いのほか繁盛してしまった」系の映画や小説が大好きな人々 - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1068107 これは9日朝現在、98コメントで455ブクマがつく大人気まとめとなりました。 自分がこういう分析や系統調査が大好きなのはご承知の通りで、リアルタイムでは話に参加できなかったぶん、コメント欄でわがものがおにおおあばれ(笑) そのコメントを、ちょっと抜き出して、画像も加えてまとめます。 1日前 @sugarAsalt 「成功した」とは言い難いのですが(笑)「こち亀」25巻にも、ヤクザが喫茶店をやるという回があります 両さんたちがさぼっているのを見た部長が「現場を見つけたぞ!」と怒鳴ったので銃撃戦に(笑) こち亀には、
モンゴル帝国(元)の襲来を、鎌倉武士が2度にわたって食い止めた「元寇(げんこう)」。文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)とも長年、暴風雨(神風)が勝因とされてきたが、近年、新たな見方が浮上している。 今まで「元寇」はおおむね次のような経緯だったとされてきた。 1274(文永11)年、900隻、4万人の元軍が対馬と壱岐を攻略。鷹(たか)島(長崎県)上陸後、博多湾まで進出したが、暴風雨に遭い退却(文永の役)。 続く1281(弘安4)年、朝鮮発の東路軍と中国発の江南軍の4400隻、14万人が攻め寄せたが、日本側の防戦で一時撤退。さらに鷹島に停泊中の船団を暴風雨が襲ったため、退却(弘安の役)。その後、皇帝フビライは3度目の日本遠征を計画したが、亡くなったため、沙汰やみとなった。 危機に大風が吹き、異国の敵が追い払われたことから、2回にわたる暴風雨は「神風」といわれ、第2次世界大戦中には、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く