いま、集団的自衛権の本を書いていて、5月末発行。7月末には『13歳からの領土問題』が出来上がる。 それに続いて、今年中に書き上げたい本があるのだが、それがこの記事のタイトルのような感じの本だ。サブタイトルをつけるとすると、「原理主義は左も右もダメ」という感じだろうか。 「超」で何をあらわしたいのか。私がこれを使う場合は、それ以下に続く言葉を乗り越えたいという気持ちと、それへのある種の共感と、両方がある。 「超左翼」も同じだ。左翼への共感とともに、このままの左翼ではダメだという気持ちがある。 ではなぜ、『超・嫌韓流』なのか。『嫌韓流』を乗り越えるというなら分かるが、まさか『嫌韓流』に共感する部分もあるというのか。 『嫌韓流』は、本屋に並んだときに買った。「どう反論したらいいのか? 書いてあることが事実だとしたら、弁解できない」と、いろんな人から問い合わせがあったからだ。いま、本屋に入ると、第