野田前首相は四月に入った直後、落胆の色を隠さず、親しい民主党議員にこうこぼした。 「『岩手に応援に行こう』と言っていたばかりだったんだけどなあ」 夏の参院岩手選挙区から出馬する平野達男前復興相の民主党離党が表面化した直後だった。 平野氏は野田内閣で閣僚を務めた関係だ。初当選した時の所属は、生活の党の小沢代表が党首を務めた旧自由党で、小沢氏と行動を共にしてきた。しかし、消費増税に反対して小沢氏が離党した際、たもとを分かって、民主党に残った。そんな平野氏も岩手県連幹部に「民主党では戦えない」と告げて、離党を表明したことは、党内に党の置かれた現状の厳しさを再認識させた。 岩手のような改選定数一の「一人区」は三一あり、参院選の帰趨を決める。民主党が大勝した二〇〇七年の参院選では、当時二九だった一人区のうち、二三の選挙区で公認・推薦候補が勝利し、一〇年の参院選では八勝にとどまったことで、全体
「国土強靭化」(防災目的の公共事業推進)を訴えた自民党の政権復帰で、疲弊する地方が公共事業復活に大きな期待を寄せる中で、早くも「国土強靭化バブル」とも呼べそうな大盤振る舞いの実態が明らかになりつつある。舞台は安倍晋三首相の「お膝元」、山口県だ。 一月、下関市内での年頭の挨拶で中尾友昭市長は、地元選出(山口四区)の安倍首相発言を紹介した。首相は、「(自分が)総理大臣になったから(公共事業が増えて)下関は良くなりますよ」と強調、具体的事業として「山陰自動車道」(山口県下関市 - 鳥取市)と「第二関門橋」の建設を挙げ、「国交省OBの山本繁太郎知事が誕生したのだから必ずできます」と太鼓判を押したというのだ。 下関市長の口を介して地元への利益誘導を約束した形だが、初めて首相になった二〇〇六年当時にも安倍氏は、父・晋太郎氏の生まれ故郷、長門市での支援集会で「山陰自動車道は必要でしょうし、インフラ整
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く