ブックマーク / number.bunshun.jp (72)

  • 《献身と感謝》「戻りたかったけどイヴァンに日本は遠すぎました…」オシムを58年間支え続けたアシマ夫人から、日本へのメッセージ(田村修一)

    5月1日にイビチャ・オシムが亡くなってから14日が過ぎた。その間、アシマ夫人とは都合3度電話で話をした。最初は亡くなった翌日の2日、次が4日、3度目が10日である。 翌日の電話では、夫人はフランス語で話すことができなかった。気持ちがいっぱいでその余裕がない。私が指摘すると、承知のうえでドイツ語で話しているといい、会話が通じるようになったのはそれからしばらくたった後だった。 ただ、2日もまた4日の電話も、短い会話で終わった。家に人の出入りが頻繁で、夫人もさまざまな対応に追われて話をする余裕がない。特に4日は、シュトゥルム・グラーツ主催による追悼セレモニーがメルクール・アレーナ(シュトゥルムのホームスタジアム)でおこなわれる直前であり、ほとんど話ができなかった。それでも彼女は、最後にこう言って電話を切った。 「皆さんによろしくお伝えください。日からは心に響くメッセージをたくさんの方からいただ

    《献身と感謝》「戻りたかったけどイヴァンに日本は遠すぎました…」オシムを58年間支え続けたアシマ夫人から、日本へのメッセージ(田村修一)
    h1romi
    h1romi 2022/05/16
    涙なしに読めない
  • 【写真】《献身と感謝》「戻りたかったけどイヴァンに日本は遠すぎました…」オシムを58年間支え続けたアシマ夫人から、日本へのメッセージ(田村修一)

    《献身と感謝》「戻りたかったけどイヴァンに日は遠すぎました…」オシムを58年間支え続けたアシマ夫人から、日へのメッセージ 2014年9月、UEFA U-21欧州選手権予選のオーストリア対ボスニア・ヘルツェゴビナ戦会場に現れたオシム夫(photograph by aflo)

    【写真】《献身と感謝》「戻りたかったけどイヴァンに日本は遠すぎました…」オシムを58年間支え続けたアシマ夫人から、日本へのメッセージ(田村修一)
  • 「あなた方は進歩した」日本のW杯出場を喜ぶオシムの憂いと祈り「実はうまく歩けない」「プーチンは狂信的ですらある」(田村修一)

    2021年5月、SKシュトゥルム・グラーツ対レッドブル・ザルツブルクの試合会場を訪れたオシム。体調は良かったり悪かったりだが、眼光の鋭さは健在だ イビチャ・オシムに電話をしたのは日がシドニーでオーストラリアを破り、1998年以来7回連続のワールドカップ大会出場を決めた数時間後だった。試合がオーストリアでも生中継されるのを筆者が知ったのは、当日(ヨーロッパ時間で3月24日午前)になってからだった。そのためオシムに伝えることができず、彼は日が会心の戦いでオーストラリアを下した試合を見てはいない。それでもオシムは日の突破を心から喜び、同時にロシアの侵攻が止まないウクライナの状況を憂えるのだった。 ■■■ ――元気ですか? 「ああ、元気だが君はどうだ?」 ――私もまあまあです。 「あなた方は勝ち点3を得たのだな」 ――ええ、とても満足しています。 「予選を突破できたのだから。ジャーナリスト

    「あなた方は進歩した」日本のW杯出場を喜ぶオシムの憂いと祈り「実はうまく歩けない」「プーチンは狂信的ですらある」(田村修一)
  • ナダル「接種すればいいだけのこと」…大騒動化してもなぜジョコビッチはワクチン接種を拒否し続けるのか?〈5つの違反疑惑まで〉(山口奈緒美)

    全豪オープンでは選手もワクチン接種が入国の条件になる。 昨年の11月に主催者のオーストラリア・テニス協会がこのことを正式に発表してから、必ず一悶着あることは想像ができた。王者ノバク・ジョコビッチがワクチン接種の義務化に誰よりも大声で異を唱えていたことを、テニス界で知らない人はいなかった。しかし決定に関しては意外にもさほど騒ぎ立てないジョコビッチに対して、さまざまな憶測が飛び交っていたものだ。ひょっとすると実はもう打ったのか、素直にこれから打つつもりなのか、それとも全豪オープンはあきらめるのか、免除される医学的理由があるのか、抜け道があることを知っているのか――。 ほとんど何も確証のない状態は年が明けても続いたが、そこへ突然ジョコビッチ人がSNSで「ワクチン免除の許可が出たのでこれからオーストラリアに向かう」というメッセージを投稿した。空港で撮られた笑顔の写真とともに。世間はざわつき、「特

    ナダル「接種すればいいだけのこと」…大騒動化してもなぜジョコビッチはワクチン接種を拒否し続けるのか?〈5つの違反疑惑まで〉(山口奈緒美)
  • 「自分は日本人ではない?」タビナス・ジェファーソンが高2で知らされたルーツ…日本代表への夢を絶って選んだフィリピン代表のユニフォーム(安藤隆人)

    決して簡単な決断ではなかった。 2021年5月21日、DFタビナス・ジェファーソンのフィリピン代表選出が発表された。同時に、タビナスは日本代表になるという夢を断念することになった。 J2水戸ホーリーホックで若きDFリーダーとしてプレーする22歳は、フィリピン人の母とガーナ人の父を持つ。母親とはタガログ語で、父親とは英語で話す一方で、家の外に出れば常に日語でコミュニケーションを取る。小さい頃からこの毎日がタビナスにとっては当たり前だった。 「小学校に入るまではみんな2つくらい言語を話せるものだと思っていたら、同じハーフの子でも日語しか話せないことに衝撃でしたね」 小学生になると、徐々に自分が周りの人たちと違うことに気づく機会が増えた。肌の色が黒いことや、漢字が入っていない自分の名前に違和感はあったが、家族は円満で学校生活も楽しく過ごしており、それはあくまで“ちょっとした違和感”に過ぎなか

    「自分は日本人ではない?」タビナス・ジェファーソンが高2で知らされたルーツ…日本代表への夢を絶って選んだフィリピン代表のユニフォーム(安藤隆人)
    h1romi
    h1romi 2021/06/16
    目から汁が。。。。才能のある人を自国の国籍にしたら国にとって良い事だと思うけど。良くない事もあるのかなぁ。
  • 3カ国語で答えるフェデラー、言い返すシャラポワ…大坂なおみが拒否した「記者会見」では何が起きているのか?(内田暁)

    「ロジャー・フェデラーは、〇時△分にメインインタビュールームで会見を行います」 「ノバク・ジョコビッチが第一会見室に向かっています」 テニスの大会のプレスルームには、そのようなアナウンスがひっきりなしに流れてくる。人気選手の会見ともなれば、早めに行かないと席が埋まってしまう。負ければその足でコートから会見室に直行する選手もいるので、記者席からインタビュールームまで、我先にと競うように走ることもある。 コロナ禍により会見もリモートが主流になった現在だが、かつてはそれが、プレスルームで見慣れた光景だった。 テニスの記者会見はどう行われているか? 大坂なおみが、全仏オープンで「記者会見は行わない」と宣言したことにより、グランドスラム・ルールブックに明記されている「メディアから要望がある場合、選手は試合直後、もしくは30分以内に会見を行なわなくてはいけない」の文言は、多くの人が知るところとなった。

    3カ国語で答えるフェデラー、言い返すシャラポワ…大坂なおみが拒否した「記者会見」では何が起きているのか?(内田暁)
  • テニスで世界3位まで上り詰めた佐藤次郎が突然“投身自殺”した本当の理由とは(小池新)

    「文春オンライン」で好評だったスポーツ関連記事をNumber Webの読者に向け特別公開します!(初出・文春オンライン 2019年10月6日)「伝説のテニスプレーヤー・佐藤次郎選手の“投身自殺” 原因はまさかの「一夜の恋」だった」も合わせてご覧ください。 解説:病気か、プレッシャーか…… スター選手の投身自殺の謎 東京オリンピック・パラリンピックを来年に控えて、スポーツ競技の強化と代表選手の選考が続いている。中でもテニスは前回リオデジャネイロオリンピックで錦織圭選手が96年ぶりの銅メダルを獲得し、国民の注目を集めた。錦織選手が数々の記録を作る中で、往年のテニス選手の名前が何度も登場した。2012年、全豪オープンでベスト8入りした際は「佐藤次郎、布井良助以来80年ぶり」。2014年の全米オープンの2回戦で勝利して4大大会で32勝を記録すると「佐藤次郎が持っていた日人男子記録(33勝)を更新

    テニスで世界3位まで上り詰めた佐藤次郎が突然“投身自殺”した本当の理由とは(小池新)
  • 伝説のテニスプレーヤー・佐藤次郎選手の“投身自殺” 原因はまさかの「一夜の恋」だった(佐藤俵太郎)

    「文春オンライン」で好評だったスポーツ関連記事をNumber Webの読者に向け特別公開します!(初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「佐藤選手の投身自殺」、文春オンラインでの公開日 2019年10月6日)また、解説記事もありますので、合わせてご覧ください。https://number.bunshun.jp/articles/-/845020 世界に名を謳われたデ杯選手が、突如マラッカ海峡に投身自殺した。先輩の語るその真相――。 ◆◆◆◆◆ 庭球選手――佐藤次郎と言っても、昭和4、5年から9年に亘って活躍した選手であるから、若い世代の人達には馴染みの薄い名前であろう。題に入る前に、一応、佐藤の経歴を略説して、彼の偉大さを御披露し、古い方方には当時の記憶を新たにして戴くことにする。 群馬県渋川中学を出て早稲田大学に入り、当時の学制で予科2年の頃から、既に、早大佐

    伝説のテニスプレーヤー・佐藤次郎選手の“投身自殺” 原因はまさかの「一夜の恋」だった(佐藤俵太郎)
  • 渡辺明が棋聖戦直後に新幹線で語っていた、藤井聡太の“違いすぎる終盤力” 「現状では藤井さんに勝つプランがありません」(大川慎太郎)

    昨年、藤井聡太七段(当時)に史上最年少でのタイトル獲得を許した渡辺明棋聖(棋王、王将と合わせて三冠=当時)。今年、厳しいトーナメントを勝ち抜き、藤井棋聖(王位と合わせて二冠)の前に挑戦者として戻ってきた。6月6日からその戦いが始まるが、果たして、若き天才に初めての“失冠”を味わわせるのか、それとも再び敗れ去るのか──。 棋聖を失った直後に応じたインタビュー記事を特別に公開する。[初出:Sports Graphic Number 1010号(2020年9月3日発売)<新名人の決意>渡辺明「敗北の夜を越えて」(肩書等すべて当時)] 歴史的決戦の直前に、負けた時のことを考える勝負師がいるのだろうか――。 史上最年少の17歳10カ月20日でタイトル戦初挑戦を決めた藤井聡太と対峙したのは、渡辺明三冠だった。社会現象を巻き起こした若き天才を現役最強とも称される棋士が迎え撃つ。第91期棋聖戦五番勝負には

    渡辺明が棋聖戦直後に新幹線で語っていた、藤井聡太の“違いすぎる終盤力” 「現状では藤井さんに勝つプランがありません」(大川慎太郎)
    h1romi
    h1romi 2021/06/10
  • 「なぜ大坂なおみは会見拒否を宣言したのか?」四大大会取材歴20年以上のテニス記者が考える“苦悩の正体”(山口奈緒美)

    「選手の心の健康が無視されている」 こう綴って、全仏オープン開幕4日前に突如勃発した大坂なおみの記者会見拒否騒動の論点は、当初とは随分違う方向へ一気に進み始めた。 “大坂なおみでいるため”のストレスが重かったのか 1回戦の勝利後、宣言通り会見を行わず1万5000ドルの罰金処分を受けた大坂は、ツイッターで「怒りは理解の欠如。人は変化を嫌がるもの」と旧態依然のシステムを真っ向から批判したが、翌日になって長文の投稿とともに棄権を表明。「想像もせず、望んでもいない状況。みんながテニスにまた集中できるように、そして私の健康を考えて棄権します」とのことだった。その中で、2018年の全米オープン優勝以降、長い間うつ状態に悩まされていたことをも告白した。 今まさに進行形で心の問題を抱えているのであれば、なぜ会見が必要なのかとか、なぜこんな義務が課されているのかとか、そんな説得を必要とする問題ではない。「メ

    「なぜ大坂なおみは会見拒否を宣言したのか?」四大大会取材歴20年以上のテニス記者が考える“苦悩の正体”(山口奈緒美)
    h1romi
    h1romi 2021/06/05
    辛い質問するのは何処のメディアなのかな。なに食べたとかの日本のメディアとどちらが良いのか。スポンサー居てこそのプロだし大会だから、強くなってメディアに出るのも仕事だから記者会見なくせないのでは?
  • 「おーい、ハンバーグ!」ジャマイカから来た少年・鈴木武蔵が浴びた痛烈な言葉…“シッカロール”を全身に塗りつけた日々(鈴木武蔵)

    ベルギーリーグ1部のベールスホットで背番号10を背負うストライカー、鈴木武蔵。先日の日韓戦とアジア2次予選モンゴル戦は怪我の影響で招集を見送られたが、森保ジャパンでは着実に出場機会を増やしている。ジャマイカにルーツを持ち、日で育ってきた鈴木にとって「日本代表」は特別な場所。小学校時代に受けたイジメ、プロサッカー選手になっても続く誹謗中傷のメッセージ……サッカー選手として新たなステージを突き進む鈴木が、自身の半生を赤裸々に語った(全2回の前編は、ジャマイカから来日した小学生時代のエピソードです/後編はこちら)。 ※稿は『ムサシと武蔵』(徳間書店)の一部を抜粋、再編集したものです。 「あああ、ムサシか。お前、入ってくるなよ」 ショックだった。今まで仲良く遊んでいたはずの友達から、急に冷たい態度をとら れたからだ。 「何で? 僕、何か悪いことをしたかな」 その日から僕の周りは急に冷たくなった

    「おーい、ハンバーグ!」ジャマイカから来た少年・鈴木武蔵が浴びた痛烈な言葉…“シッカロール”を全身に塗りつけた日々(鈴木武蔵)
    h1romi
    h1romi 2021/04/04
    泣いた。自分は幼少の時に黒人、ウーピー、土人とか言われて、親族日本人しかしらないし日焼けの吸収が早いだけなのに、辛かったなぁ。もっと色々頑張って胸張って何か言える人にならねば。
  • アントラーズ復帰前、内田篤人に小笠原満男から届いた一通のメール…「たいしたことねぇなぁ」の初対面から12年後の変化とは(池田博一)

    2021年10月1日、鹿島アントラーズはクラブ創設30周年を迎える。「0.0001%の奇跡」としてJリーグ加盟を果たし、常に勝利のために歩み続け、これまで国内最多20の主要タイトルを勝ち取ってきた。 今回は、昨シーズン限りで現役を引退した内田篤人氏と鹿島でテクニカルアドバイザー(TA)を務める小笠原満男が出会った当時のあの頃、そして内田がドイツから帰って来てからの変化について、『月刊アントラーズフリークス別冊内田篤人』で対談が実現。その模様を再構成し、未公開分と合わせて特別に掲載する。全2回の前編(#2後編はこちら)。 2006年、内田篤人は鹿島アントラーズに加入した。そのとき見たのが眼光鋭い、背番号8の姿だった。初めてチームメイトとなり、ともにプレーするなかで感じたこと。そして、その背中を追いかけて走った日々……。 初めて参加した練習中に強くて速いボールで試されたルーキーが、ドイツでの経

    アントラーズ復帰前、内田篤人に小笠原満男から届いた一通のメール…「たいしたことねぇなぁ」の初対面から12年後の変化とは(池田博一)
  • オシムがコパで驚き、賞賛した選手は?「日本は適切な進化の過程にいる」(田村修一)

    コパ・アメリカの3試合にすべてフル出場したDF冨安健洋。「ボールを扱えるし空中戦も強い」とオシムも期待を寄せる。 イビチャ・オシムに日対エクアドル戦の話を聞いたのは、試合の翌々日だった。初戦のチリ戦は見たが、日が引き分けたウルグアイ戦は見ることができなかったオシムは、やはり引き分けに終わり準々決勝進出を逃したエクアドル戦を高く評価している。いったいオシムは、エクアドル戦に何を見たのか。コパ・アメリカでオシムが見出した日の真実とは何であったのか。オシムが語った。 16番は期待以上の優れた逸材だ。 ――元気ですか? 「ああ、君はどうだ?」 ――元気ですが、パリはすごく暑いです。 「この季節に雪は降らないからな(笑)。女子の試合(ワールドカップ・ラウンド16の日対オランダ戦。ちなみにオシムは日対イングランド戦はテレビで見ている)は見られなかったが、男子の試合(日対エクアドル戦)は見た

    オシムがコパで驚き、賞賛した選手は?「日本は適切な進化の過程にいる」(田村修一)
  • 伊達公子が没頭した修士論文の中身。砂入り人工芝は日本テニスの大問題。(内田暁)

    「違和感」の種が胸にできたのは、思い返せば、初めて世界に飛び出した頃だという。 “新時代のテニスコート”の触れ込みで砂入り人工芝が登場したのは、伊達公子が、高校生の頃だった。 身近なところで一気に普及したのは、1985年の神戸ユニバーシアード。イベント会場の神戸総合運動公園のテニスコートが砂入り人工芝になり、以降はジュニアや高校の大会も、砂入り人工芝で開催される機会が増えた。 「悪天候にも強い」がそのコートの売りではあったが、伊達が思い出すのは、「水たまりがある中でプレーした」という記憶。また、足元が滑りやすく、球速もバウンド後に落ちるという「ネガティブなイメージ」だった。 “新世代のコート”への違和感。 もちろん当時のそれは、あくまで一個人が抱く印象にすぎない。だが高校卒業と同時にプロとなり、ヨーロッパやアメリカでプレーする機会が増えていく中で、“新時代のコート”が実は、国外には全くと言

    伊達公子が没頭した修士論文の中身。砂入り人工芝は日本テニスの大問題。(内田暁)
  • 「絶対無理」のイチローより可能性大?日本人初のメジャー監督を目指す男。(宮寺匡広)

    「監督は絶対無理ですよ。これは“絶対”がつきますよ」 3月21日の引退会見で、イチローは将来の監督就任を否定した。殿堂入り確実な実績からすれば、日人初のメジャーリーグ監督の最右翼だと思うのだが……。 しかし、その裏でメジャー初の日人監督の座を目指し、日々奮闘している者がいる。昨年からミネソタ・ツインズ傘下のルーキーリーグ、エリザベストン・ツインズでコーチを務める三好貴士だ。 三好の選手としての経歴は、決して輝かしいものではない。メジャーはおろか、マイナーやNPBに所属したこともなく、米独立リーグが彼の選手としての最高のキャリアだ。そんな彼が、いかにしてツインズのコーチに就任したのか。 「17歳のときにジャッキー・ロビンソンの伝記を読んで、パイオニアとしての生き方に憧れたんです。ちょうど野茂英雄さんが、ドジャースで活躍されていた時期でもありました。現実的に、アメリカを目指してみたいと思う

    「絶対無理」のイチローより可能性大?日本人初のメジャー監督を目指す男。(宮寺匡広)
  • オシムが指摘した勇敢さの欠如。「それでも日本は大きく進歩した」(田村修一)

    アジアカップ決勝の日カタール戦は日の完敗に終わった。言い訳の余地のない敗戦を、イビチャ・オシムはどう見たのか。オシムが語った。 順当な結果だったということ。 ――元気ですか? 「ああ、君は元気か?」 ――まあまあですが、凄くいいわけでもないです。 「そりゃそうだろう」 ――大変な試合でした。 「決勝はいつでも特別だ。どちらのチームも絶対に勝ちたいと願っている。しかも周囲は日が有利という雰囲気を作り出していた。そんな中で敗れたのだから、当然失望は大きいだろう。 しかし言えるのは……順当な結果だったということだ。試合の入り方は、カタールの方が日よりも圧倒的に決意に満ちていたのだから」 運は勇気を出した方に味方する。 ――その通りでした。 「カタールは、最初から全力を出し切って戦う気持ちに溢れていた。日の入り方は典型的な強者の入り方だった。この試合がどういう展開になるかをじっくりと窺

    オシムが指摘した勇敢さの欠如。「それでも日本は大きく進歩した」(田村修一)
  • 思考すら振り切る「大坂なおみ時代」。なぜ彼女だけが達成できたのか。(山口奈緒美)

    世界ランキング1位となり、表彰式でも「スーパースター」と紹介された。「大坂なおみ時代」が当に来たのだ。 大坂なおみ時代の到来。もう遠慮もためらいもなくそう言っていいだろう。全米オープン優勝からわずか5カ月足らず、南半球唯一のグランドスラムで連続2大会目のメジャー優勝を果たした大坂は、史上26人目の世界ランキング1位となった。 2002年以降、グランドスラムで2大会連続優勝はセリーナ・ウィリアムズ以外に誰も成し遂げていない。そのセリーナでさえ、17歳の全米オープンでのグランドスラム初優勝に続く翌年の全豪オープンは4回戦敗退だった。しかし20歳のときに全仏とウィンブルドンを連覇すると、そのまま全米、全豪も勝って4大会連続優勝。「セリーナ・スラム」と自ら名付けたその偉業を、2014年から2015年にかけて再びやってのけた。 こうして23のグランドスラム優勝を重ねたセリーナの功績は偉大すぎるが、

    思考すら振り切る「大坂なおみ時代」。なぜ彼女だけが達成できたのか。(山口奈緒美)
  • 宮藤官九郎の『いだてん』執筆記。「辛さのレベルは全然違いますが」(宮藤官九郎)

    1月6日に始まった大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺』。 その脚を執筆する「クドカン」こと宮藤官九郎氏が Number970号「テニス開幕特集 ラブゲームで行こう」(2019年1月17日発売)に寄せた連載エッセイを、今回だけ特別に全文公開します! 『いだてん~東京オリムピック噺』が1月6日スタートしました。 いかがでした? 大河でした? 大河じゃない! と言われましても、2話から唐突に信長や龍馬を出すわけにもいかないので、そこは諦めて1年間お付き合い頂きたい。 2019年の大河ドラマでオリンピックを描く。これ、ひょっとして翌'20年の東京オリンピックを盛り上げるために巧みに仕組まれた国家的プロパガンダじゃない? そんな邪推を、この場でハッキリ否定します。そんな大それた企画だったら俺んとこなんかに来るわけないじゃない。 意外かもしれませんが、こちらから持ち込んだ企画なのです。「大河で

    宮藤官九郎の『いだてん』執筆記。「辛さのレベルは全然違いますが」(宮藤官九郎)
  • オシムから届いた新年のメッセージ。「走り続けること、戦い続けること」(田村修一)

    イビチャ・オシムは、サラエボの自宅で年末年始を過ごした。 冬の間は雪に埋もれるグラーツよりも、寒さが厳しいとはいえ積雪はそれほどでもないサラエボの方が、多少なりとも過ごしやすくはあるのだろう。 ただ、1月半ばには、シュトルム・グラーツのクラブ設立110周年記念式典がある。主賓のオシムを欠いては成り立たない行事であり、そのときにはまたグラーツに戻ることになるとのことである。 オシムからの新年のメッセージが届いた。 日サッカーへ込める思いと期待を、オシムが受話器の向こうから語った。懐かしかった羽生直剛との再会も。ここにお届けするのは、そんなオシムの直近の声である。 なお、彼は、アジアカップ期間中の不定期インタビューの申し出にも快諾してくれた。フィリップ・トルシエも同様で、欄ではふたりの分析と評論をロシアワールドカップ同様に掲載する。 「日サッカーは良くなっている」 ――元気ですか? 「

    オシムから届いた新年のメッセージ。「走り続けること、戦い続けること」(田村修一)
  • ラミレスはやはり名監督なのでは?得失点-70で4位を維持する能力。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    今オフ、3年前に就任した3人のセ・リーグ球団の監督が明暗を分けた。 巨人の高橋由伸監督と、阪神の金知憲監督が退任。DeNAのアレックス・ラミレス監督も一旦は辞意を表明したが、球団に慰留され留任が決まった。3人ともこの3年リーグ制覇を逃したのだから、仕方がないともいえる。 しかし、子細に成績を比較してみると、2人が辞めて1人が留任したのは、自然なことだったのではないかとも思えてくる。 3人の監督の通算成績を見てみよう。 高橋由伸(巨)429試210勝208敗11分 勝率.502 2位・4位・3位 ラミレス(D)429試209勝210敗10分 勝率.499 3位・3位・4位 金知憲(神)429試204勝216敗9分 勝率.486 4位・2位・6位 3人とも5割ちょぼちょぼ、CS進出は高橋、ラミレスが2回、金が1回。似たような成績だ。 阪神の金が退任したのは、今年、2001年以来の最下位

    ラミレスはやはり名監督なのでは?得失点-70で4位を維持する能力。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー