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2022年5月27日のブックマーク (2件)

  • 「特攻に異議」信念を貫いた芙蓉部隊 今に伝えるメッセージ | NHK | WEB特集

    「精神力一点ばかりのカラ念仏では心から勇んで立つことは出来ません。同じ死ぬなら、確算ある手段を立てていただきたい」 太平洋戦争の末期。全機特攻の方針が示された作戦会議で、末席から異議を唱えた将校がいました。 「芙蓉(ふよう)部隊」と呼ばれる航空隊の隊長、美濃部正少佐。当時29歳でした。 芙蓉部隊とはどんな部隊だったのか? そして部隊を率いた美濃部はどのような人物だったのでしょうか? (鹿児島放送局記者 西崎奈央) 取材を始めたきっかけは、鹿児島県曽於市の岩川地区に「芙蓉部隊」の展示室が完成したというニュースを見たことでした。 軍の命令に逆らうことが困難だった太平洋戦争末期に、特攻に異議を唱えた部隊だというのです。 その存在を初めて知って驚いた私は、すぐに芙蓉部隊の歴史を語り継ぐ活動を行っている「芙蓉会」に電話をしていました。 芙蓉会のメンバーの前田孝子さん(76)さんは、当時記者2年目だっ

    「特攻に異議」信念を貫いた芙蓉部隊 今に伝えるメッセージ | NHK | WEB特集
  • 大正時代、華族の娘が50歳の男に売られた話

    柳原白蓮(1885年10月15日 - 1967年2月22日)、名は燁子。 大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。 13歳で華族女学校(現・学習院女子中等科)に入学。 1910年11月、上野精養軒で燁子と九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門との見合いが行われた。 燁子は当日、それを見合いだとは知らされていなかった。 伝右衛門は50歳、親子ほどの年齢差・身分・教養ともあまりに不釣り合いであり、 地方の一介の炭鉱主が「皇室の藩塀」たる伯爵家からを娶るのは前代未聞のことで、「華族の令嬢が売物に出た」と話題になった。 異例の結婚に新聞では、柳原家への多額の結納金や媒介者への謝儀、宮内省への運動資金など莫大な金が動いたことが書き立てられた。 背景には貴族院議員である兄義光の選挙資金目的と、一代で成り上がった伝右衛門が後に名門華族の家柄を求めたことがあったと見られている。 翌1911年

    大正時代、華族の娘が50歳の男に売られた話