「精神力一点ばかりのカラ念仏では心から勇んで立つことは出来ません。同じ死ぬなら、確算ある手段を立てていただきたい」 太平洋戦争の末期。全機特攻の方針が示された作戦会議で、末席から異議を唱えた将校がいました。 「芙蓉(ふよう)部隊」と呼ばれる航空隊の隊長、美濃部正少佐。当時29歳でした。 芙蓉部隊とはどんな部隊だったのか? そして部隊を率いた美濃部はどのような人物だったのでしょうか? (鹿児島放送局記者 西崎奈央) 取材を始めたきっかけは、鹿児島県曽於市の岩川地区に「芙蓉部隊」の展示室が完成したというニュースを見たことでした。 軍の命令に逆らうことが困難だった太平洋戦争末期に、特攻に異議を唱えた部隊だというのです。 その存在を初めて知って驚いた私は、すぐに芙蓉部隊の歴史を語り継ぐ活動を行っている「芙蓉会」に電話をしていました。 芙蓉会のメンバーの前田孝子さん(76)さんは、当時記者2年目だっ