主に Web(ウェブ),ブログ(blog),サイト,ニュース,CGM などネットで視た様々な出来事を『斬』りますよ。 2024 02 ≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫ 2024 04 ・CONCORDE: 誰宛か、って聞かれたら、やはり「誰か」宛でありたいんです。 何かしら「考え」を書くのだとしたら、文章としては疑問形だったりはしますけれど、だけど、自分の中では(ある程度)結論が出た上でのものなんじゃないかと。 だから、「自分は」もう読まなくてもいいんです。自分にとっては書き上げるまでの段階で考えた話だから。 記事を書くときに結論ありきでは書いていないときも結構ありますね。思考の途中で、今日はここまで分かったみたいな感じのものとか。それと、関連記事が出来たときなんかは、思い出して読み返してみると結構参考になるこ
「全体主義への歩み」でも触れたが、わたしたちの日常の情報は報道によるところが多い。また報道のみならずメディアの量も多く、また明らかに昔に比較すれば多様である。にもかかわらず多様すぎてというわけでもないだろうが、出版や新聞といった文字情報への依存度は低下していく。今や日常の事件や事故という情報は、インターネットによるところが大きいだろう。「新聞を読まない」とあからさまに言う人も数多い。新聞の購読者数は減る一方だろう。 わたしが新聞を開く理由は、自分が欲しいと思うものだけではなく、新聞側から配信される事件事故報道ではない記事を期待するからだ。いや、もしかしたら自分が欲しいと思っている記事なのかもしれないが、自分の知識だけでは検索できないキーワードがそこに見つけられるからかもしれない。ようは無知な人間には、相手側から無理やり情報をばらまいてもらわないと、目にしたり耳にしたりできない情報があるとい
「クルマは持っていたんですが,維持費がかかるので,結婚を機に売っちゃいました」「クルマがなくても生活に支障はないので,持っていません」「駐車場代が高いから,今の給料じゃクルマなんか買えません」…。 最近,20代〜30代前半の人たちと雑談しているときに「クルマ,持っている?」と聞くことが増えている。意識して聞いているというよりも,気になって思わず聞いてしまっているという感じである。 なぜか…。最近「若者のクルマ離れ」を良く耳にするが,それが本当なのか,本当であればなぜなのかを知りたいためだ。実際,日経エレクトロニクス編集部や取材先の30歳前後の人たちなどに聞いてみると,冒頭のような答えが返ってくることが多い。クルマの記事を良く書く弊誌の若手記者ですら,クルマを持っていないという由々しき事態(?)だ。 私が20歳代のころ(1980年代半ば〜1990年代半ば),私たちの世代にとってクルマを所有す
その人がどんなエントリーにブックマークをしたのかは、その人のブックマークページを見れば分かる。 なのに、どうしてブックマークしたことを、自分のはてなダイアリーに書くのかね。 ブックマークしたことを、その言及先のリンクと共に自分のはてなダイアリーに書くと、その人がブックマークしたエントリーのブックマークページの「このエントリーを含む日記」に載る。 「このエントリーを含む日記」って、私は他人の感想や意見を知りたくて見に行っているのに、見に行った先が「ブックマークした」だと、がっかり感が大きいです。 はてなブックマークのほうで、そんな人を「このエントリーを含む日記」に表示させないようにするオプションが欲しい。
東京地裁請求棄却 生存権侵害認めず 生活保護を受けている70歳以上の高齢者に上乗せ支給されていた「老齢加算」を廃止したのは、憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利(生存権)を侵害するとして、東京都内の受給者12人が居住地の7区3市を相手取り、加算廃止決定の取り消しを求めた訴訟の判決が26日、東京地裁であった。 大門匡裁判長(岩井伸晃裁判長代読)は「老齢加算を廃止しても、現実の生活条件を無視し、著しく低い基準を設定したとは言えない」と述べ、請求を棄却した。 老齢加算の廃止を巡っては、全国8地裁で同様の訴訟が起こされているが、判決は今回が初めて。 訴えていたのは、足立区や青梅市などに住む73〜84歳の男女各6人。原告らは生活保護の本体部分となる基準生活費(月額約7万5000円)に加え、月額約1万8000円の老齢加算を受け取っていたが、厚生労働省は2004年以降、老齢加算
先日、ベランダから行きかう車や立ち並ぶマンションを見ていた。ひたすら見ていた。車の中にも立ち並ぶマンションの中にも人は住んでいて、車の場合人が運転していたりして、ああ、そうかー、人の数だけ人生ってあるんだよなーと思ったりした。 そして、見えないけれど人の数だけ内面世界というのは存在していて、その内面世界というのは、その人を取り囲む外の世界と同じくらいに広く深いものなんだろうなと思った。人の内面世界は書いたりしゃべったりといった行為で外側に明らかにされ、つまりはそうすることによって他人は触れることができる。「言葉で表現すること」それは「他の人が触れること」を可能にする。言葉によって人は触れ合える。コミュニケーションのはじまりは多くの場合挨拶であり、言葉を交わすことからはじまる。自分が発した言葉に他人が触れ、また他人の発した言葉に触れて言葉を返すこと、それがコミュニケーションなのかなと思う。し
意見が分かれた風なので風力をあげてみる。 もう全くもってその通りなんだけど、多分犯罪予告には「その予告を実行しないため」にするって側面もあって、 自分を止めて欲しいからするとか、 もっと単純に自分の中の悪意を発散する効果を期待して行うって時も結構多いんじゃないかと思ってるので、 「ない」に越した事は無いんだけどむしろじゃんじゃんやっちゃってじゃんじゃん逮捕されれば良いよとも思っちゃう。 http://d.hatena.ne.jp/pbh/20080625/1214366710 やっぱり無駄な犯罪予告は許されないと思うんですよ。で、どこまでが無駄でどこからが有効か、これは主観にも寄るし、取締る組織によって定義があるのでしょうけど、予告していいのは番組とホームランだけだと思うんですよね。 正(せい)に働く予告であればいいのですが、負の予告は、予告すること自体に意味を持たせてはいけないと感じます
「私の学校裏サイト記事を茶化した(disった)「はてなブロガー有村さん」の記事にコメントしてみた」 の続きである。 既に、多くの方がこの飲み会についてブログに書いてくれているが、「けんじろうさんの視点でのレポート」を期待している声があったので、私の行動を中心に書きたい。 <飲むことについて> 今回は、はじめて「はてな村」の若者(たぶん)たちと飲めることになった。メンバーは有村さんのブログサイトを愛用している3人の女性を含む20人と飲んで語りあうことが出来るのだ。それも、マッチョ対はてな軍団ではなく、ほぼ全員が初顔合わせだ。 私は毎日のようにIBM以外の人と飲んでいる。 仕事上の付き合いのある取引先はもちろんだが、ミクシーやWizliなどのSNSのコミュニティや仕事でメールでやり取りした人、私が住んでいる近所の人、子供達の学校や部活で知り合った人、そして、月に1回だが当社の社員と取引先の社員
メディアを騒がせているメタボ健診、スタートして3週目になります。メイン小児科標榜の当医院では、10人程度の受診、新しいスタイルの健診のため事務員も緊張気味。 「ちょっと感じたことをメモ」 ・受診年齢は50代~60代、ほとんどがくすり内服しており、基本健診で毎年訪れている方々。メタボ保健指導に該当しても対象外。40代~50代前半メタボ予備軍はどうしているのでしょうか? 本年度の健診で、どの程度保健指導を受けられ、またその効果は? ・受付で多くの記入のため、健診まで時間がかかり過ぎ。 ・健診結果の記入も細かく煩わしい。国で指定されたメタボ判定また総合判定・医師の診断など多数。記入漏れで支払基金からの支払いが遅れたり、再記入料を請求される可能性もあるそうです。本当に気疲れする健診であります。 ・受診者全員が受診券を持参しており、メタボ健診への意識はアップしている様です。
事情があって,週に2日PCの電源をオンにしないことにしている。事の始まりは,この春先にひいたカゼ。しばらくして全快したものの,診察のついでにいろいろと検査した結果,会社の診療所からは週に2日の休肝日を厳命されてしまった。 実は,筆者は帰宅してから寝るまでの約1~2時間を友人や知人のメール,ブログ,SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などを巡回し,メールの返事を書いたりコメントを付けたりして過ごすことが多い。この時,ついつい冷蔵庫からビール(酒税法上は第3扱いだが)を取り出してしまっているのだ。ネットを使うと飲みたくなるのならネットをやめればいい。そこで休肝日を徹底するために,週に2日はPCの電源も入れないこととした。 ネットを利用しなくなった時間は読書に充てることにした。書店で仕事や趣味に役立ちそうな本を見かけるたびについつい購入してしまうものの,開くことなく“積ん読”になって
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