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ブックマーク / diary.lylyco.com (6)

  • 30代を発狂せずに愉しむための2つの心がけ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    30歳を超えても、困ったことに、大抵の人は発狂しない。 それは、まだまだ人生から降りられないことを意味する。そこの10代も20代もみんな、残念ながら素面で30代を迎える。何者でもない自分をひしひしと感じ、当の自分なんてないことにも疾うに気づき、そもそも人の一生にさしたる意味なんてないんだと知って、それでも何となく正気で生きていく。そういうものだ。そもそも30代を恐れる若者たちは、そんなに充実した満足のいく10代や20代を送ってきたんだろうか。否。振り返ってみれば大したことのない人生だったはずである。30歳になって失くすような重大な幸福なんてひとつもない。ならば、これからを愉しく生きなきゃ損である。 ----- 01:飽きたことに固執しない 人間30歳にもなれば、20代までにやった大抵のことに飽きてくる。あれほどワクワクしたゲームたちが色褪せて見え、テレビを視るのも2ちゃんねるに書き込むの

    hatayasan
    hatayasan 2009/03/11
    壁に突き当たってもあきらめない、これ超重要だよね。
  • ホッテントリの本当の意味|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    はてなブックマークのコメント欄にはプチ批評家が多く生息している。 少なくないブロガーが批評家気取りで持論をぶつ。同じように、ブックマークにわざわざコメントを付けるような人も、結構な割合で批評家を気取る。そういう現状がまずある。一応は批評なのだから上目線なのは当然である。一所懸命に書いたエントリーにネガコメやネガタグがつくのも、批評家が多いのだから仕方がない。野球ファンが贔屓球団の監督の采配に厳しいのと同じである。彼らはたぶん監督の代わりに采配を揮えるわけではない。星野批判をする人が星野より上手くやれるわけではなかろう。だからといってプロのやることにケチをつけてはいけないという法はない。 ウェブ上に文章を公開するということは、その内容如何に関わらず批評の対象になり得るということだ。はてなみたいな批評好きが集まる場所に晒されたなら、なおさらである。ブロガーが批評家気取りだからといってその内容が

    hatayasan
    hatayasan 2008/08/23
    「いわゆるホッテントリに上がってくるのは役に立ちそうな情報か、「はてな論壇の今日の議題」のどちらか」お手軽なウェブじゃ物足りない向きがはてなに集まってくるのだろうし、論壇ごっこをしているだけ、とも。
  • すべてのコミュニケーションは誤解からはじまる|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「わかる」という言葉には気を付けないといけない。 たとえば、“崖の上のポニョ”を観たAさんが「よくわからなかった」という。それを聞いたある人は丁寧に粗筋を説明した。Aさんは「いや、話の筋はわかるんだけど」という。別のある人は下敷きになった人魚姫との対比を語った。Aさんは「うん、それはそうなんだろうけど」という。また別のある人はクトゥルー神話との類似を指摘した。Aさんは「へえ、確かに似てるね。でも、話の型というのは多くの物語で結構再利用されているものだよね」という。また別のある人は宮崎駿の意図について公式サイトにあるような話をする。Aさんは「それぼくも読んだよ」という。 Aさんに説明を試みた人たちはそれぞれに“崖の上のポニョ”を「わかった」と思っている。ただ、そのわかり方には大きな差異がある。ある人は粗筋を理解することでわかったと思う。ある人はルーツを知ってわかったと思う。ある人は自分の知識

    hatayasan
    hatayasan 2008/07/23
    「ブログやはてな界隈を見ていても、様々なレイヤーにおけるディスコミュニケーションが感情の行き違いを生んでいる。誰かの何かを読んで「わかる」ことが、ゴールだと思うからそんなことになるんじゃないかと思う」
  • ブログ閉鎖宣言という遺書|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    存在することを止める、そう表明することで何かを訴える。 ・はてなに絶望しました。もうブログやめます。 - Paper Storm!!! ・ブログ閉鎖を宣言しても、はてブが変わるとは思えないし、絶望だけが孤独という名の残滓を創出するだけなのだと思う。タイトルなんてただの飾りだし、私はid:shiroannさんと似ているところがあると思ったので長文タイトルでエントリを起こしてみる - 煩悩是道場 これは、生き辛さに絶望して遺書を書く行為に似ている。遺書を書く。それは、生きているうちには伝えらえなかった言葉を、死という究極の選択と抱き合わせることで伝えようとする行為だと思う。そもそも伝えたいことのない人は、たぶん、遺書を残さない。遺書を残すのは、おおよそ、無念の故だろう。生きて伝えようと足掻くことに絶望し、死して言葉を投げかけることを選ぶ。けれども、無念が伝わったか否かを確認する術はなく、真意を

    hatayasan
    hatayasan 2008/06/28
    「ブログの未来に何も期待しないのなら、宣言なんかする必要はない。勝手に止めればいい。それでもいわずにいられないのは、やっぱりそこに存在できるならしたかったという思いがあるからだろう。」
  • 自分は不謹慎ではないと無邪気に信じられる人たちの不思議|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    個人による報道が不謹慎だという非難はどこまで妥当なんだろう。 ・Recently - 秋葉原刺殺事件に遭遇して ・秋葉原で通り魔、トラックで次々とはねてナイフで斬りつけ、7人が死亡 - GIGAZINE ・秋葉原通り魔  事件発生現場の様子 - アキバBlog ・2008年6月8日に秋葉原で発生した通り魔事件 まとめwiki - トップページ 居合わせた人たちのモバイル端末が事件の様子をマスよりも早く捉えた。そして、素人による1次情報は映像、画像、テキスト情報としてWeb上に流され、2ちゃんねるやはてななどを通じて多くの人たちに伝わった。中でもWebカメラで実況された事件映像は、かなりのインパクトを与えたようだ。そして大方の予想通り、個人報道に対する批判が持ち上がった。曰く、不謹慎ではないか、曰く、無責任ではないか、等々。こうした批判を見るにつけ、思う。これだけ情報技術が発達しても、相変わ

    hatayasan
    hatayasan 2008/06/09
    「そもそもテレビやネットで秋葉原のニュースに釘付けになった人たちは、負傷者の回復を祈り死者の冥福を祈るために、ただ真摯な気持ちで一部始終を見詰めていたのだろうか。」
  • ブックマークコメントとブログコメント欄の本質的な違い|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    はてなブックマークは難しい。こういうやりとを見ていても思う。 ・はてなブックマークにコメントするくらいならブログにコメントしろ!! - ネット小説家の小さな書斎 ・404 Blog Not Found:君の記事のぶくマは、君のものじゃない たとえば、ぼくがここではてなの人気エントリーのひとつに言及しトラックバックを送ったとする。その人気エントリーを読んだ人が、運良くトラックバック一覧の中からぼくのエントリーを見つけて読んでくれる。で、思うところあってブックマークしてくれて、さらにはそこに何かコメントを付けてくれたとする。このブログにではなくブックマークに、だ。ぼくがはてなやアクセスログに無頓着だった場合、このブックマークに気付くことはたぶんない。まあ、ブックマークとしてはそれで普通だろうと思う。ただ、はてなのそれはちょっと違っている。 たとえばdel.icio.usのようなソーシャルブック

    hatayasan
    hatayasan 2008/05/27
    「ブックマークコメントは他対他、ブログコメント欄は私対他の世界なのである。」
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